腹立ち日記 1998

1998 Jan. 04

 フェリーを予約していなかったので渋滞を避けるために深夜の高速道路を走って帰る羽目になった。運悪く雨。視界が悪くスリップしやすい。前日からのスケジュールがきつく、25 時間睡眠無しでの長距離ドライブは体に堪えた。

 JJ3ECY・坂井さん、JE3HHTJI3IVL・森さんご夫婦に拙宅まで来て頂き、無線談義。みかんと缶コーヒーしかなく、失礼しました。楽しい午後でした。

 中高時代の天文部の先輩である上井さんから電子メールが来た!早速返信を出す。( PLUTO )

1998 Jan. 07

 元旦早々、赤信号待ちの時後ろから酔っぱらい運転に突っ込まれた車を修理に出す。今年は本厄だそうな。注意しよう。ほか諸々雑用を済ませる。

 久しぶりに天体望遠鏡のカバーを外して虫干しする。ひよわな GN - 170 であるが、まだ動いている。風による転倒事故に懲りて鏡筒だけ室内に置くようにしている。

 夏に宿泊した剱岳・早月小屋から年賀状が来ていた。嬉しいものだ。また行こう。( PLUTO )

1998 Jan. 19

 昨年の山行回数は辛うじて月一度をクリアしたが、アクティビティの低下には著しいものがある。今月果たしてどこかへ行けるだろうか?安全な雪山はやはり比良か。

 過去の山行記録をどんどんアップしたいのだが写真をスキャンするのが億劫で、、、テキストだけでも先に、、、
 惑星の写真をスキャンする最中にフリーズすることが多くて難儀している。( PLUTO )

1998 Jan. 20

 昨夜は新大阪で低山徘徊派ミニオフが行われた。まこさん、あきゆきさん、芳村さん、お疲れでした。楽しいひとときでありました。低山徘徊派パティオで進行中の「カシミール」とか「数値地図」のことが少し分かりました。

 ハンディ GPS にあらかじめ通過予定ポイントを入力する際、2.5 万図から経緯度を読み取るのだが、マップ上 1 分毎に線を引くとそれが経度で 60 - 61 ミリ、緯度で 74ミリ位になることに気づいた。逆に山で道に迷ったとき、GPS で現在地の経緯度を計測し、マップに当てはめるには経度 1 秒が 1 ミリ緯度 1 秒を約 4 / 3 倍すればマップ上の距離(ミリ)になる。勿論近畿地方での話。南北に大きく外れた山域では当然異なる。( PLUTO )

1998 Jan. 22

 休日くらい山の写真でもスキャンすればいいんだがなかなかその気にならない。せめてもと、テキストファイルだけのレポートを乱発する今日この頃。スキャナを職場に移そうか。

 録画しておいた深夜の五時間番組「阪神・淡路大震災」を少しだけ見る。( PLUTO )

1998 Jan. 23

 このサイト、細かい部分をチョコチョコ手直し中。( PLUTO )

1998 Jan. 27

 天下の大蔵省に検察が踏み込んだそうでめでたい限り。捕まった連中はなぜ自分達が捕まったか理解できてないようでこれまたおめでたい限り。( PLUTO )

1997 Mar. 02

 おや、もう三月に入ってしまったぞ。

 氷ノ山で遭難があったそうで、雪崩か?この時期の氷ノ山は怖い。一方でどこやらのスキーゲレンデで行方不明になった方々、昨年九月の私と同じくオソマツですな。ともあれ生還できてなにより。

 年末の阿蘇以来どこへも登っておらず怠惰な日々を送っている天罰てきめん、不良健康状態が続いている。彼岸には是非行かねばならない険しい山があるのだがトレーニングが全然、、、( PLUTO )

1997 Mar. 13

 1970 年以来の趣味である天文。ああでもないこうでもないといろいろ試していた中高生の頃が思い出される。

 観望ではなく観測をやりたいとずっと思っているのに光害地から抜け出せる予定もなく、社会人になってからは細々と書籍を購読し続けるだけの状態が続いている。今、光害地でも使える冷却 CCD カメラに注目し関係書物など読んでいる。生憎ベランダからの視界は狭く、CCD の操作法、今どこにどんな小天体が出ているかというリアルタイム情報の処理など、問題は山積状態。なにより稼働率がどれくらいになるかがズボラの身には一番の問題である。

 久しぶりに山行記録をアップロードした。写真もあるのだが鑑賞に堪えるシロモノではなくスキャンも面倒。いずれまとめて。( PLUTO )

1998 Mar. 16

 昨日は 2 年ぶりに東亜天文学会大阪支部例会に出席してきた。会員歴だけは長いが観測もせず例会にも滅多に出ない不良会員である。
 当日は日食の話題が中心で、1991 年にわざわざハワイまで日食を見に出かけたことを思い出し、その時の写真を引っ張り出して早速ページに載せた。あのとき晴天で見事なコロナを見ていたら、今頃は日食貧乏にやられているはず。当然、アマチュア無線など始めていないだろう。

 また、当日改装オープンなった明石天文科学館の報告もあった。クーデ式太陽観測装置によると今、大きな黒点が二つ太陽の真ん中にあるそうで、国内・10MHz がよく開けているのも当然か。( PLUTO )

1998 Mar. 31

 いきなり暖かくなったもんだが、また冷えるそうな。

 先日、自宅の Power Mac 8500 / 150 に MAX Power G3 220 / 512 / 110 という Power PC 750 のボードを積んだら随分速くなった。ついでにメモリも増設して現在 208 MB。使い道が分からんわい。Mac OS 8.1 のパッケージ版も用意して外付けハードディスクに仮インストールし様子を見ている。周辺機器のドライバーとフリクションがないことを確認したら内蔵ディスクの OS 7.5.5 も 8.1 に変更する予定。職場の 8100 / 80 が遅いのでこれを先に G3 化したかったが、ボードの発売が遅れるらしい。

 年度末で職場前の歩道がほじくり返され、やかましいことこの上ない。自宅周辺では街路樹をやたら引き抜いていたので道が広がるのかと思ってたらなんとまあその場所に新しい苗木を植えているではないか。無駄なことを。

 星野写真のスキャンにようやく成功したので 1986 年に撮影したハレー彗星をアップした。50mm, 135mm レンズは像が甘く、300mm はシャープだがどれも露光不足。惑星の拡大写真もあるのでどんどんスキャンしたい。( PLUTO )

1998 Apr. 10

 先日、今年初の山行を済ませホッとしている。また鍛え直さねば。

 甲山事件、地検はまだやるつもりか...

 パソコン通信というのを始めて 10 年位になる。当初は 300 / 1200 bps とう超低速でいわゆる草の根ネットから始めたが、今では具合のいい通信ソフト、ログブラウザーが対応している商用ネットを主に見ている。山登りを始めた頃は登山関係の、無線を始めれば無線関係のフォーラムを覗くといった具合。

「山、高きが故に尊からず」のはずだが、ネットコミュニケーションの中に「裏山ハイカーより冬のアルプスを登る者がエライ」という意識が少なからず感じられたことだった。

 一方、アマチュア無線には免許証のクラス及びコールサインの新旧によるはっきりした「序列」がある。

 現在もっぱら電信関連の会議室を見ている。総じて「一アマがエライ」などという意識が薄いのは結構なことだが「電信術」の上手下手による区分(差別??)が存在する。本でも書いてれば神様扱い。エライ人達はパソコン通信マナーを外れようがなにを書こうがおとがめなし。シモジモが妙なマネをしでかすとすぐに電子メールでお叱りを受けるのだ。あれは実に気分の悪いもんです。(笑)

 比較的最近「欧文電信で世界の仲間とコミュニケーションを」という標榜で現れた古い連中(一部今も現役)同士が訳の判らん不毛な議論を展開したり「欧文電信には中学生レベルで充分」などといった嘘八百を放ったり「和文など、国内にしか通用しない符号は無用」など、並べ立てればきりがないが、他人の楽しみ方をけなす書込みが目立つ。英語だろうが日本語使おうがモールスだろうが SSB だろうが、カラスの勝手じゃ。

 自分にはこんなすごいことができる、どうじゃ、真似できんだろうという単純に威張りたい願望がパソコン通信という晴舞台を見つけマスターベーションをおっぱじめたわけである。「アマチュア無線には計り知れない数の楽しみ方があり、それぞれを尊重しつつ遊べることは素晴らしい」と言った、ある無線家の爪の垢を煎じて飲ませて差し上げたい。黙っとればハイレベルの電信マンとして尊敬集めていられたものを。尤も、経験僅か 2 年の私には彼らのどこがどうハイレベルなのか分かりませんが。

 アマチュア天文家同士がパソコン通信上でお互いのやり方についてけなしあうなど見たことがない。( PLUTO )

1998 Apr. 14

 12 日は降水確率 50 % というのを信用して山へ出かけず無線などしていたらなんと快晴ではないか。山登りと無線は健康上、対極に位置する趣味である。ようやく鍛え直そうと思っていたのに、、、あ~、只の根性なしです。

 JH3HGI・SON さんのページを見て先月分の業務日誌をアップしてみた。いやー「TABLE」タグを使うと編集に疲れること!遡って作成する元気があるか?
リンクページも断り無く更新した。(田代さん、小南さん、スンマヘン)( PLUTO )

1998 Apr. 16

 昨夕、NHK を見ていたら鏡面研磨をやっている人達の様子が実況されていた。講師は苗村敬夫さん。鏡周に JA3KXJ と記入されているのを見つけ、おお、ワシと同じ趣味人じゃと喜んでおりました。( PLUTO )

1998 Apr. 23

 19 日の鈴鹿・御池岳山行はなかなか良かった。カタクリは一斉に咲くことなく、蕾もあれば開き切ったものもあり、桜と対照的である。高速料金が高いが登山口まで早く行けることもいい。名神高速も天王山付近が拡幅されて渋滞がましになった。あと茨木~吹田間の拡幅工事が終わればもっと渋滞は減るだろう。

 2 月分、無線業務日誌をアップしたが、14 日のデータに不足があるようで、修正します。( PLUTO )

1998 Apr. 30

 28 日梅田発の夜行バスを利用し、一年前とまったく同じルートを辿って槍ヶ岳へ出かけた。今回は天候に恵まれ雪の北アルプスを眺めることができて幸いであった。ただ、雪が異様に少なく面白みに欠けたことだった。心配していた体力の低下はさほどでもなく、バテることなく歩き通せたのは不思議ですらあった。( PLUTO )

1998 May 06

 大分市在住の方から久住山行記録への感想メールを頂いた。ミヤマキリシマは是非見たいが時期的に都合がつきにくい。

 以前にも山行記録を見てメールを下さった方が数名あったが、有難いことである。絵日記データベースでも更新し続けようという励みになる。メールを下さった方々に感謝申し上げる。

 メールといえば「あんたのニコンを幾らで売るのか?」といった類の英語で書かれたものが主に東欧、アメリカなどから未だに届くが not for sale と朱を入れてあるのを読めないのだろうか。ええかげんにしてくれ。

 天文関係の書籍をデータベース化しようと考え、自作関連書物から引張り出し始めたが全部で 13 冊あった。とても全部は無理なので印象に残った大事な書籍のみ自作関連書に限らずいずれ紹介していく予定である。( PLUTO )

1998 May 08

 インターネットは国際的なものであるからしてエイゴを使わねばなんぞと考えていたが、内容が徐々に日本語でしか表現困難なものへと変化していくのでそれに併せて各インデックスを日本語化し直している。完成までの全角・半角ゴチャ混ぜ状態は随分見苦しいこととなりましょう。( PLUTO )

1998 May 15

 太陽をかすめる彗星が西空低く見えるはずだが、久しぶりに晴れた昨夕、西北西を注意して見るも薄雲がかかっていてダメ。当初 0 等級の予報だったが暗くなってしまったのではという情報も。( PLUTO )

1998 May 18

 昨日は大台ヶ原へシャクナゲを見に行くはずだったが土曜日の大雨で気を殺がれ、結局天王寺の JARL へ交信証を出しついでに 18 MHz を運用(25 局)し、JA3MAU、JP3DZA 両先輩と話をし、午後からは中之島で東亜天文学会大阪支部例会に出席した。一日中快晴で実に恨めしいことだった。

 業務日誌を html 化するために JCC, JCG ナンバーなど入れつつ、電脳ログ帳を更新しつつある。随分時間がかかりそう。( PLUTO )

1998 May 25

 ひょんなことから山渓に「でこでこてっぺん」を連載されているゲキさんのメールアドレスを見つけ、大ファンである私は早速ファンレターを出した。今朝返事があってヨロコンでいる。「関西ハイキング」表紙と武奈ヶ岳のページに写真入りで出てられます。黒い服の人です。相棒は妹さん。( PLUTO )

1998 Jun. 05

 長男とヨメハンがポケットピカチュウをそれぞれ買って遊んでいるのはかまわんが「ほら、寝てるときに振ったらムスッとした顔で起きてまたすぐ寝るのよ」などといちいち見せに来るのは大人のすることではなかろう。( PLUTO )

1998 Jun. 11

 近畿地方はどうやら梅雨入りしたようで湿っぽい天気になってしまった。
 無線業務日誌の html 化のため、電脳ログ帳を整理するのに時間を食われていたがそれも間もなく終わり、山へも行けようしオンエアの機会もまた増えると思う。( PLUTO )

1998 Jun. 25

 20 日、21 日とスカウトのキャンプに出かけた。土曜日は到着するや夕食の準備。ワシらオヤジ連中(2 名だけだが)は荷物運び、薪割り、火の監視。出来上がったカレーの大鍋を炊事場から屋外のテーブルに運ぶのに緊張した。なにせ暗闇の中、段差のバラバラな厭らしい階段を足元の視界を遮る大鍋かかえて下るのは至難の技。ここでひっくり返そうものなら空腹のチビたちから袋にされることは確実。

 日曜日午後、雨がきつくなる中、各種荷物を車まで何度も往復して運ぶのも難儀であった。カッパ上だけ着て下半身はずぶ濡れ、靴も中までびしょびしょ。ヤマで慣れているはずだがここは箕面市内。心構えができていないためか随分勝手の違うことだった。( PLUTO )

1998 Jun. 25

 先日 NiftyServe FHAM のメンバー(知らなかった人)からメールを頂いた。電信会議室というところで私が 2 年前に書き散らしていたのを読んだ方がウチのホームページも見て参考になったとの主旨。嬉しくも赤面の至り。

 アマチュア無線に関してはおよそろくな思い出がない。

 1995 年春に波を出し始めた頃は開局以来数年間 430MHz/FM で新人相手に説教を垂れるだけが趣味とも思える近所の頑固オヤジに手を焼き、まあこちらが気心の知れた連中とこともあろうに波の上で「あいつは資格以上のパワーを使っているらしい」などとわめいた(この目で見たわけじゃないのだが)のが悪かったのだが、未だにこれを根に持っているらしいことが久々の最近の交信(好意的に呼んだんですけどねー)ではっきりした。まー、しつこいこと。人間、真実を突かれるとそれに拘るもの。

 オーバーパワーなど日本のアマ無線界では日常茶飯事。"Japanese ten Watts" というシニカルな言葉があるほど。人命に影響するわけでもなし別にどうでもええんですが、、、確かに、当初ろくでもない面子の集まりだった我がグループだが、その後多くが上級を取得するわ、電信を始めるわ、DX もやるわでこの万年電話級オッサン、どうやら妬みもあるらしい。開局当初、技術的なことも教わったがのち上級資格取得に向けて勉強しているうちにその多くがホラであることも露呈した。先日の交信時、そのオヤジ曰く「短波なら飛ぶに決まっている」のセリフは井の中の蛙を自ら証しているようなもんだ。まあ、この反面教師のおかげで今の自分があると思えば感謝せねばならぬが。

 電信をやり始めてからも 430MHz / FM にはしばしば出ていて「電信・英文でやり取りできるようになりたい。まだ 60 - 70 字 / 分の QRS ですが」と抱負を述べたら別のオヤジ(電信の名人)から「そんな低速でラグチューになるものか」と来たもんだ。<B>ほっとけ。よくお世話になっている別のベテラン(超高速和文電信マン)からは「俺もそれが目標やけど、英語が苦手やから和文専門や」と正直なもの。先のオヤジは多分英語が全然できないので「何を初心者が生意気な」と過剰反応したと推測する。

 一人前に欧文ラグチューできるようになるには 1. 高速符号を受信する能力、2. 英会話がスムーズにできる能力、3. 英語圏の国と安定して交信できる設備(ハイパワーにタワー、ビームアンテナ)が必要と考える。

1. ラバスタをやっているとよく使われる言い回しや略号など自然に憶えてしまう。同様に平文を毎日のようにやっていると単語、熟語、しまいにはセンテンスが一塊になって筆記することなく頭に入るだろうことは想像される。しかし、これは中学・高校の 6 年間で英単語 6000 を一から憶えていく作業に等しく、既に手遅れ。
2. これまたなるべく幼少時より慣れておくのが有利。
3. 上級資格を取り、大きなアンテナを挙げられる余裕のある家に住み、アンプを買う金が必要。

 さて、これらのどれひとつとして持ち合わせていない私はバンザイして和文に走るべきだが、生憎和文モールスをなかなか憶えられず悶々と過ごす毎日。しかし簡単な英作文くらいならできようし、向こうから送られてくる英語もそんなややこしいものではないはず。大阪市のど真ん中で日本語のできんエイゴの人に道を教えるが如く(日本に来るエイゴの人、少しは日本語ができるようになっときなさい)片言英語で意志疎通と思う。単語の綴りや英作文はカンペを作っておく。エイゴの人が打ってくる言い回しをメモしておいてあとで使う、などが考えられる。長い単語でも使っているうちにスムーズに打てるようになるはず。更にそれを応用すれば脱ラバスタは進行していくはずである。

 NiftyServe で活躍中の某氏は近頃躁状態らしくアドバイスとも何とも判断し兼ねるアーティクルを連発中だが「筆記受信は即刻止めるべし」「送信用カンペは作るべからず」等々、私のごとき新米に到底受け入れられるものではない。好意的には「自分にできるから他人にもできるはず」と解釈できぬでもないが、まあ只の自慢にしか読めませんな。ともあれ新人を元気づけようという意思のあるベテランのなんと少ないこと!

 ところでなぜ日本人が無理して英語を使わねばならんのか?世界人口の何割が達者に英語を使えるのか知りたいものである。ときおり国外から寄せられるメール、こんな下手な間違った文章、中学生でも書かんぞと思うものが沢山。しかも内容は「あんたのページで売りに出ているニコンを是非譲れ」だと。誰が売りに出してなどいるものか。「not for sale」が読めんか。( PLUTO )

1998 Jun. 26

 また知らぬ方からメールを頂いたが「GT - 6000・スキャナのドライバーをなくした。バイナリーメールで送ってくれ」という内容。んー、ウチのページに GT - 6000 のこと書いてたかなあと思いつつ返事を出したけど、見知らぬ人間に突拍子もなく「○○をくれ」なんてメール出すか?

 参院選が始まるそうで、今のバカ首相に任せておいてはまずかろうくらいしかわからんのは困ったもの。アジア全体の経済危機といわれるがその方面、当方まったくの無知でして、また立花さんのページへ行ってこよう。( PLUTO )

1998 Jun. 29

 昔お世話になってた BBS へアクセスしてみたら人が出てきてびっくり。そのまま受話器を取って話を聞けば 1 年前に閉局した由。別の BBS へ行けば間もなく閉局とのアナウンス。草の根の時代はもうおしまいか。( PLUTO )

1998 Jul. 02

 晴天続きで梅雨明けかと思ってたらまだらしい。妖しい雲が飛来する。オオヤマレンゲを見に行きたいのだが、既に咲いているそうでこの週末を逃すと遅いらしい。週間予報では降水確率 50 % の由。

 皆子谷溯行記録をアップしてあれから 3 年経つのかと考えた。平熊さん、2FU さん、不知火さん、わかたさんとの 5 人組で薮山を突撃していた頃が今でも一番楽しい思い出。( PLUTO )

1998 Jul. 04

 滞っている山行記録をまとめてアップした。粗製乱造。人様に見せるほどの写真もなく、テキストのみ。
 明日、5 日はオオヤマレンゲを見る今年最後のチャンスと思われるので大峰へ出かける予定にしている。さて、昼寝しよう。( PLUTO )

1998 Jul. 06

 山は計画・準備が楽しく、前日・当日・出発直前は面倒だが出かけてみると良かったと思う。オオヤマレンゲは枯れかけの一輪しか見つからなかったが心地よい汗を流すことができた。( PLUTO )

1998 Jul. 07

 昨夜の寝苦しいことと言ったらなかった。各地の梅雨明けが例年より 2 週間ほど早いそうで、ならばカレンダーを進めてしまおう。今日は 7 月 21 日。七夕に星空が見えることは稀だが今夜は見えるだろう。ただし、3 等級まで。

 オオヤマレンゲの写真ができ上がった。予想以上にくたびれた花で鑑賞に堪えない。

 19 日から連休を取って山へ行くつもりだがまずいことに夏休みの開始と重なる。行き先も未定。山小屋は混雑するだろうから久しぶりのテント泊でも。( PLUTO )

1998 Jul. 10

 宮崎駿作品に魅入られたようにビデオなど見ている。「風の谷のナウシカ」・ビデオ版は原作をかなり縮めたものと聞いたのでその原作を探してきた。全 7 巻。毎晩寝る前に読んでいる。昨夏に劇場で見、最近ビデオを買った「もののけ姫」も原点は「ナウシカ」か。そういやパソコン通信を始めた PC 9801・16 色時代、草の根 BBS にナウシカの GIF 画像がやたら出ていたことを思い出す。野坂氏の原点とも思える「火垂るの墓」は過去に何度かビデオを見たが舞台が私自身の地元でもあり、背景画面が実物に忠実なのが印象的。これも間もなくビデオとして発売されるそうな。( PLUTO )

1998 Jul. 13

 寝冷えしたようでノドの痛みに苦しんでいる。来週、山へ行けるか?

 掲示板を作りたいが相変わらずのインターネット音痴ゆえ難しい。取り敢えず各インデックスページを更新し、メールボックスを作ってみた。さて動作するか?( PLUTO )

1998 Jul. 15

 Power Mac 8100 / 80 に Max Powr G3 220 / 110 を積み、メモリーも増設して合計 176 MB とした。重いソフトも軽快に動くようになり、気持ちがよろしい。( PLUTO )

1998 Jul. 17

 TCUPから掲示板をお借りした。是非書込みのほどお願い申し上げる。

 まもなく連休を取る予定だが体調不良や家族の都合などあって当初の計画(馬場島から剱岳往復)は破棄され、いろいろ考えている。18、19 日の北アルプス山小屋は大混雑らしく、ということは小屋のそばのキャンプ場や交通アプローチも混雑するということ。20 日早朝に出発すればましだろうか。( PLUTO )

1998 Jul. 21

 都合により、山へ行けなかった。ゴロゴロと過ごす毎日、、、明日も休みだがさて、、、
 アルプス方面の天候は案外よかったようで、妖しい雲が去来する大阪で案ずる程でもなかったらしい。

5 月 18 日以降交信分のカードを 19 日、天王寺の JARL へ直接出してきました。( PLUTO )

1998 Jul. 23

 21 日はエキスポランド、22 日は北六甲有料道路・大沢 I.C. 近くのフルーツフラワーセンターへ出かけた。

 エキスポランドではダーウィンの特別展示が面白い。フルーツフラワーセンターは都市近郊にしては広々としており自然に触れることが出来る。トンボやチョウチョが沢山飛んでいた。温泉、パターゴルフ、ゴーカート等に子供が喜び、バーベキューは材料を買って自分で焼くスタイル。

 毎年のことだが水の季節は外耳炎の患者さんが増える。耳に入った水は放っておけば自然に蒸発するので丸一日くらい辛抱して様子を見るのがよろしい。それでも治らねば耳鼻科受診を。綿棒や耳かきで引っ掻いて悪くする人が多いです。( PLUTO )

1998 Jul. 28

 89 歳になる祖母が新月の引潮に亡くなり、通夜・告別式で黒ずくめの 25、26 日は汗をかいた。

 密葬だったので弔問客の応対に追われることもなく、滅多に会えない親戚と久しぶりの再会であった。チビの時の印象しかないイトコ連中が随分大きくなり姿形がそれぞれの親に似てくる。年上の者は変わらない。

 どんな処理をしているのか火葬場に煙突がない。棺に入れられたオニギリがまん丸に炭化していたのが興味深い。メロンは跡形もなかった。骨粗鬆症を長らく患っていたためか、小柄だったためか、火が強すぎたのか、遺骨は半分も残っていなかった。

 27 日・月曜日朝、前夜の残りのカレーを食べながら和歌山で起きた青酸入カレー事件の報道を読みその動機を考えてみる。

 特定の人物を狙うために無関係者を巻き込むことを承知で大鍋に毒物を入れるか?もしそうだとしたら犯人の精神は?
 被害状況から見て薬物の量は少なかったらしい。愉快犯か?「騒ぎを起こしたかっただけ。まさか死者は出まい、、、」と。( PLUTO )

1998 Jul. 30

 パソコンの調子が悪い。職場の Power Mac 8500 / 150 G3 改は内部スピーカー端子の接触不良か、音が出ない。自宅の Power Mac 8100 / 80 G3 改はブラウザが動かないときがある。どうやらファックスモデムのドライバとフリクションを起こしているような。

 昨日「掲示板」を覗いてみたら広告みたいな書き込みがあり、これは即刻削除した。CGI はメンテに気を使います。しばらく留守にしている間に目茶目茶になったりして、、、( PLUTO )

1998 Jul. 30

 早いものでボチボチ 8 月。さすがの長梅雨も間もなく明けよう。

 丑の日とのことで、ウナギの骨がノドに刺さったという患者さんが昨日だけで 3 名。本日午前中にも 1 名。尋ねてみればほとんどの方がごはんの丸呑みをやっているがこれで取れるのは運が良いときだけ。咽頭異物は見つけるのが難儀。殊にサカナの骨は唾液と紛らわしい。刺さっている部位によっては直達鏡を使わざるを得ず、アトロピンを使うけれどそれでも患者さんにはかなり苦しいのを我慢してもらわねばならない。

 29 日夜、久しぶりに自宅の無線機の電源を入れた。18MHz でせわしなく CQ を打っているロシアを呼んでから 7MHz に移ってのんびり CQ を打つも応答なく就寝。( PLUTO )

1998 Aug. 03

 1 日・土曜日は大阪市福島区で 10MHz を運用した。コンディションは良くなかったが延べ 40 局より呼んでいただいた。

 家族サービスのため淡路島・慶野松原海水浴場へ出かけた。明石海峡大橋を渡るのも一つの目的。橋上よりの景色は素晴らしく、つい路肩に車を停めたくなるところを兵庫県警のパトカーがしっかり見張っている。

 昼寝を決め込んでいるとき、左足にヨメハンが日焼け止めクリームで「タコ」と書いてくれたおかげで脛には今も白い文字がくっきり。日陰に避難していたのだが照返しは避けられない。( PLUTO )

1998 Aug. 15

敗戦記念日

 8 日・土曜日は中央区・大阪城公園駅近くの木陰に車を停め、10MHz に出ていた。エンジン、エアコンの掛けっぱなし、無線機にはかなりの電流が流れる。昔聞いたところによればアイドリングではバッテリーを充電するだけのパワーがないとのこと(3000 r.p.m 以上で充電開始)。おまけにオイルをエンジン全体に行き渡らせることも難しく良くないらしい。エアコンを入れれば自動的にエンジン回転数が僅かに上がるのでエアコンの電気はこれで賄うとすれば、無線機が食う電力はただバッテリーを消耗させるだけらしい。ムセンが終わったらエンジンを切らずにそのまま走って充電に勤めねば。ウチの車もまる 5 年間、バッテリーを交換していない。

 12 日より長い夏期休暇に入り、さっそく剱岳を狙っていたが北陸地方の長雨と帰省ラッシュ・ピークのニュースに元気をなくし、粗大生ゴミ化する毎日。休暇のつもりが体調が却って悪くなる。

 上高地で震度 5 の地震があったと聞いてまっさきに頭に浮かんだのは穂高の岩場で落ちた人がいないかということ。その後そのような報道はなく、上高地のテレビ画像は雨模様だったので稜線・岩場にはあまり人がいなかったのだろう。よかった。

 本日より家族サービスで中国地方のとあるキャンプ施設に出かける。チビもいるしテント泊ではないが星空の綺麗ないい所である。お盆の度真ん中で交通渋滞もなかろうし、高速道路を使わずにのんびり出かけるとするか。ちゅうわけで 17 日まで留守にします。( PLUTO )

1998 Aug. 18

 お盆のど真ん中、15 日から、6 月に駒の尾山から後山へ登るベースとなった岡山県英田郡西粟倉村・野鳥苑へ家族連れで出かけてきた。

 今回は家族連れでもあるし、トイレ・台所・冷蔵庫付きのコテージに 2 泊した。近頃テント泊をやらず余っているα米などを使ってみる。ヨメの顔色を見ていると案外美味そうに食べてるので一安心。家を離れると何でも美味く感じるのは自分だけではないらしい。食器は備えられておらずコッヘルなどヤマ道具が大いに役立った。ちなみに本館は旅館並み、コテージは畳敷き、布団あり。キャビンは板の間・高床式・寝具なしで屋外にコンクリートのかまどと水道がある。テント持参のキャンプ場もある。

 国道 2 号線を西進、明石付近でやや渋滞していた以外特に問題なし。姫路から三日月町を抜け、宮本武蔵の生家を見物して森林浴公園・野鳥苑へ。海抜約 700 メートル。コンクリートで固められた大阪とは比較にならぬ涼しさ。一泊目の夕食は予約しておいたバーベキューてんこもりに大満足。天候に恵まれず星は見えなかった。

 トカゲを捕まえようとして尻尾だけ捕まえてしまった。
 6 月には沢山実を付けていたノイチゴが全然見つからず残念。
 目の前を 1.5 メートルはあろうかという青大将が横切った。
 車のドアにシャクトリムシが口から吐いた糸でぶらさがっていた。

 またまたムセンネタになるが 10MHz というのはヘンなバンドであるなあ。16 日、昼間の散策を終えヒマを見て低速で雑談相手を探していたらなかなか呼ばれない。ようやく呼んでくれた JA6JML・RON さん、ピリオドをよく使う方で多分数回目のコンタクトだと思うが(パソコンがなく検索できず)妙にバンドの特性(?)なんかを考えてラバスタに終わらせてしまったのは残念至極。せっかくスペースを空けて打ってくれていたのにもったいないことをした。「夏休みで森林浴をやってる」等、ネタには困らなかったのに、、、また呼んでください。> RON さん。

 あまりに呼ばれないのも淋しいので呼出周波数(?)10.130 ドンピシャに合わせ、打鍵速度を 5 割くらい上げ、運用場所のアナウンスと共に CQ を打ったら呼ばれること!JCG #31001 が珍しいかどうか知らないが大勢から呼ばれたところを見るとやはり珍しいのだろう。或いは「UR 599 BK」を見つけたらとりあえず呼んでみるのがこのバンドのオキテ?

 17 日、渋滞に巻き込まれることなく中国道経由で暑い大阪へ戻ってきた。冷たいものを腹に詰め込みいっぺんに体調を崩す。( PLUTO )

1998 Aug. 24

 22 日・土曜日は例によって大阪市内から 10MHz に出た。北海道がよく聞こえた。

1339 - 1451 西成区
1505 - 1618 浪速区
1644 - 1658 中央区
1723 - 1730 北区

 延べ 63 局に相手してもらいました。

 山登りは 9 月から?天候不順とはいえ 3 ヶ月もご無沙汰している。脚がずいぶん萎えたことだろう。( PLUTO )

1998 Sep. 01

 おや、もう 9 月か。早いもんです。
 先日、起きたとき寝違えたか左の方から首筋にかけて非常に痛む。頚が回らぬ。肩凝りの薬や消炎鎮痛剤も効かず。運動不足のせいか、、、

 8 月 29 日はムセンしないと宣言したものの、つい、、、行きつけの山道具店近くからでした。それにしてもあんなビルの谷間から交信できることには驚き。5 日は 14 時頃東淀川区から出ます。10 MHz です。メールや掲示板に移動地リクエストが全然ありません。来訪された方々、ご遠慮なく。

 NTT DoCoMo より手紙が来た。アナログ方式を全面的に廃止するのに伴いアナログユーザーに対しデジタル機への交換を勧める内容である。さて関西セルラーに乗り換えねば。

 北朝鮮のミサイルが東北地方を横切って太平洋に落ちたらしい。自衛隊はこれをリアルタイムで追尾していたのだろうか。アメリカ軍には分かっているはずと思うが、、、( PLUTO )

1998 Sep. 03

天気予報を見ているといつものごとく停滞前線が居座っている。予報官が「秋雨前線」と言っていることに本日初めて気づいた。停滞前線、今年はとうとう消えずじまい。( PLUTO )

1998 Sep. 07 日常

0600 起床
   ヨメ「漢字の宿題済ませた?」
   長男「ノートがない、、、」
   ヨメ「早く探しなさい」

0700 ヨメ「宿題済んだ?」
   長男「ノートが見つからない、、、」
   ヨメ「パパーっ、一緒に探してやって」
   親父「これか、これか?」(机に積まれた本、ノートを繰りつつ)
   長男「それは漢字ドリル」

0710 結局ノートは見つからず、ヨメが便箋を取り出して長男に渡す。

0730 ヨメ「宿題終わった?」
   長男「漢字ドリルがない。さっきパパがどこかへやった」
   ヨメ「・・・・・・・・」(爆発寸前
0735 親父「これじゃろが」
0800 長男は朝食抜きで登校した。( PLUTO )

1998 Sep. 09 【祝 62 号ホームラン】

 ホームラン王争いのライバルがいるチーム相手の試合でこれをやったというのがヨイ。

 思い出したのが 10 数年前。阪神タイガースのバースが日本のシーズン最多ホームラン記録に迫りつつあった秋の阪神・巨人線。

 王が狭い後楽園球場で作った記録を破られまいと巨人の投手は試合の流れに関係なく露骨に逃げ続けた。捕手は座ったまま表向きは勝負に見せかけストライクゾーンから遠いところへ速球を投げさせたりした。王監督指揮下、12 打席連続四球だったそうな

 島国根性。今の政治と重なって見えるのはあながち巨人というチームのことだけではないらしい。( PLUTO )

1998 Sep. 17

 山を降りて 3 日目というのに太股が痛い。余程無理をしたらしい。

 山から帰る途中ラジオで台風のニュースを聞いて驚いた。登る前に天気図を調べたときは影も形もなかったような気がするのだが。
 秋台風は足が速いので気をつけねば。情報の少ない時代、四国からあっと言う間に大阪へ達した室戸台風。朝礼中の子供たちが大勢、倒壊した校舎の下敷きになったそうな。( PLUTO )

1998 Sep. 20 【JA3RL closed】

 剱岳強行軍の大腿痛もようやく癒え(画像、しばしお待ちを) しかしケダルく 10MHz をサーチしていたら正午を回った頃 JA3RL を発見。(JA3RL は JA3AA・島さんのセカンドコール・移動用だったか固定用だったか、が召し上げられたものだそうで)
 オペレーターは?と尋ねたら案の定、師匠だった。低速和文で「来ないか」と打たれた気がしてそういえばカードも随分(800g)溜まっていることだし師匠の面白い話も聞けるわいと天王寺まで出かけてみた。ところが師匠(JA3MAU)は用事があって帰るとのこと。一体どんなミスコピーをやらかしたやら。(^^;) ちゅうわけで 8 月 8 日から 9 月 20 日 12:20 交信分のカードを出しました。

 珍しく運用者がおらず広々とした机にカードをぶちまけ整理して提出、帰りがけの駄賃に波を出そうと思ったら世話係の方が「今日は誰も来ないのでアンテナを降ろした」だと。ならばと此花区・AJA #250104 へ移動した。

 JE1CKP・岡本さん、早速呼んでいただきありがとうございます。下手な英文を打って失礼しました。よくこのページへ来て頂いているそうで、掲示板の方もよろしくお願いします。いえ、15 分間なんて短いですよ。
 無線を始めた頃、度々 JE1CLH・鎌田さんに夜の 3.5MHz で延々 1 ~ 2 時間鍛えていただいたものです(ありがとうございました> Mack)。JJ3ECY・坂井さんに捕まると眠気勝負になります。(笑) JA1MML・吉廣さんは近頃出てられるかな?秋の夜長の 3.5MHz は如何でしょう?

 10MHz は休日だけの JCC ハンターバンドみたいですけどのんびり CQ 打ってたらいつまでもつきあってくれる方もいます。あ、私ならいつでも。次は話題の続く限りやりますか。「/3」付きのときはいわゆる「珍」から出ていることが多いですが、CQ を数回空振りしてるようなら待ってる人もいないわけで、まあ見つかっても中断する必要はさらさらないわけですからご遠慮なく。パイルを浴びるばかりでなくのんびりやるのも好きですので。ただ心の準備ができていないと今回のごとく、まともな交信にならないことが多いです。(^^;) ( PLUTO )

1998 Sep. 22

 台風 7 号が接近しつつあり次第に風雨が強くなってくるのが分かる。手元の腕時計気圧計は 991 hPa を指していて尚も急降下中。当然仕事はヒマで剱岳の写真をスキャンすることが出来た。ん?正午、御坊市に上陸したって?

 口腔・咽頭など、自分でも鏡で見られる部分にも関わらずなぜか初診時には既に進行癌というパターンが頭頚部腫瘍の特徴。癌なぞ見つけた夜は気が沈む。誤診ならいいが、、、( PLUTO )

1998 Sep. 27 進学校先生のジレンマ

 阪神間では少数の有名進学塾が勢いを奮っていて有名進学校へ大量の合格者を出している。その現役塾生の母親からヨメが聞き出した話によれば塾生たちは早いうちから一緒に勉強する仲間を敵と認識しお互いの足を引っ張るそうで具体的にはテストのとき他人の筆記具を隠すそうな。なんともはや、、、

 受験戦争は過激の度合いを増し多くが受験術に長けてしまうモノだから中学としてはさらに難しい入試問題を考えねばならず進学塾のスパルタの度合いもそれに併せて強くなる。イタチゴッコ。

 心ある学校の先生はそんな勉強をして入学してきた生徒を見て「良いことではない」と感じるものの仮に入試の方法を根幹から変えてしまえば受験生はその学校へ入るために独特な勉強をせねばならず他の進学校併願への道が閉じられることになる。
 進学塾の立場からは一校にしか通用しない受験術を教えることはできない。「あの学校を受けるのは止めなさい」となるわけでその学校へは生徒が集まらなくなるわけだ。他にも進学校は沢山あるから塾は一向に困らないわけで今の受験戦争、一番強いのは進学塾という話でした。( PLUTO )

1998 Sep. 28 教えることは難しい

 剱岳強行軍の大腿痛もほぼ癒えたが 30 日は順延された長男の運動会。なにかと雑用が多く相変わらず山に行けない。

 気の早い情報だが 11 月 18 日午前 2 - 3 時頃、獅子座流星群が極大を迎える。もし 33 年前のような流星嵐が起こればこれを見逃すと一生悔やむに違いない。現在移動観望地物色中。大台ヶ原駐車場へはアマ天文家が集中するだろう。大普賢岳・石ノ鼻でビバークは如何?

 長男に算数を教え始めた。集中力は一時間程度。「54 ÷ 6」など九九算を使う計算はすぐできるがそこから外れると思考がストップする。

「70 ÷ 10」は「70 の中に 10 がいくつあるか?」「70 円で 10 円のアメが幾つ買えるか?」を解くための計算式に過ぎないことを理解させるのに四苦八苦。授業料よこせ

 逆に「一枚 10 円の画用紙を 50 円分買いました。何枚買ったでしょう」から「50 ÷ 10」の式をすぐに書けないのは国語力の無さ。知識を得る基礎はなんといっても国語です。( PLUTO )

1998 Sep. 29 お天気相談員の憂鬱

 長年山登りに重宝している高度計付き腕時計(1992 年購入)の電池が切れたので交換してもらったところ気圧と温度の表示が随分ズレてしまった。

 気圧を調整するため大阪管区気象台に電話すると若そうだがなんとなくうつろな声が聞こえてきた。

「お 天 気 相 談 所 で す」

「今日の午前 10 時、12 時、13 時の大阪の気圧を教えて欲しいんですが」

「10 時 1020 hPa、、12 時 1019.7、、、13 時 1019、、、、、」

「はい、どうもありがとうご、、、」

「ガチャン」

 何か気に入らぬことでも?( PLUTO )

1998 Oct. 05 賞状はまだか

 10 月 3 日は 21 時から秋期関西 VHF コンテストが始まる。規約など読みつつ準備していて思い出した。一年前の同じコンテスト、1200MHz・電信部門で一等賞を取ったのだ。にもかかわらず賞状も挨拶もナニもない。結果が発表された今年の 5 月「一等賞なら賞状が貰える」とムセンの先輩に聞いたのだが、、、天王寺の JARL に電話して訪ねたら若い声が出て「コンテスト委員会に伝えておきます」だと。さて本当に賞状が貰えるのか?

 二匹目のドジョウを狙って今年も 1200MHz・電信部門。21 時から 24 時まで縦振キーを叩き続けて(実に肩が凝る)応答は僅かに 7 局。翌朝外出前に 1 局。(コンテストは 12 時まで...)結果は得点 14、第一マルチ 2、第二マルチ 7、局の定数 2。四つ掛算して合計 392 点。はからずも昨年と同じ点数であった。ときおり虚無感に襲われながらストレートキーを叩き続けるのは実に苦しいものです。

 QSL カードを印刷していて終了間際に気がついた。「Confirming Our QSO」が「Confirming Qur QSO」になってる。よく似た文字であるし、かまわんことにしよう。( PLUTO )

1998 Oct. 06 服部緑地はまあ、確かに緑地

 灯台下暗しの服部緑地へ散歩に出かけた。至極のんびりゆっくり見て回った。
道路がやたら多い。噴水だの施設が多い。大きなドングリが沢山落ちているけれどを想わせる雰囲気はかけらもなかった。( PLUTO )

1998 Oct. 09 ありゃりゃあ

 表紙にも書いたとおり、私のミスによりサイトが全滅した。山行記録の先頭から幾つか、天文書庫の一部、この日記などからボチボチ復帰しつつあるが全面復旧には半年くらいかかるものと思われる。良い機会なので全面改装も考えている。( PLUTO )

1998 Oct. 15 局名録に E - mail address がなぜ載らぬ

 JARL NEWS 10 月号巻末に付いていたハガキ(局名録記載変更届)に 50 円切手を貼り「住所・氏名欄に E - mail address を記載願う。住所・氏名の記載は無用」と出したら「紙面スペースの都合上、また英数文字の入力が正確に行えないことから、掲載することができませんので、ご了承ください」とのファックスが届いた。1998 年版・局名録で住所・氏名欄に E - mail address を記載しているのを見て、よし来年はこれでいこうと考えたのだが。(後記:1999 年版にもあったぞ!>じゃーる)( PLUTO )

1998 Oct. 26 パソコン受難

 10 月 15 日頃より自宅と職場に置いた 5 年物の MO ドライブが共に不調。ディスクが排出されない現象が出始めた。仕事に支障を来たすので急がねばと 21 日に日本橋へ出向き最新型を求めた。希望の製品は取扱店が少なく時間をかけて探し当てたが在庫 1 台のみ。取り敢えずそれを購入し同一製品を 1 台後日送付してくれるよう予約注文を行った。以前から計画していた大容量内蔵 HDD 増設もこの際にとばかり 4.5 GB を 1 台だけ購入。

 早速自宅の Power Mac 8100 / 80 に HDD を内部増設。フォーマット、OS - 8.1 インストールはできたものの何故かどうしても起動ディスクにならない。ターミネーターの設定やらなにやら試したがダメ。(この件に関してはニフティ・FMAC に「Help !」を書込みメーカーにもメールを出して現在返事待ち)

 さて、翌日職場へ持っていった新しい MO ドライブは「さすがに最新型は速い」と喜んでいたのも束の間、ディスクが排出されない初期不良が発覚。いちいち強制排出していてはディスクが傷むのでドライブをメーカーへ送り返した。注文していたもう 1 台が 25 日、自宅に届いたため本日それを職場にセットし無事動作することを確認。あとは修理品が帰ってくるのを待つだけ。

 25 日昼。無線ログ専用にしている PB - 150 の蝶番部分が破損。このままでは液晶画面部がバラバラになる。急遽以前使っていた LC - 475 に戻す。ところがこれの内部 HDD(160MB)も物理フォーマットが不能。イニシャライズだけやって OS - 7.5 をインストールするが同一内容のシステムフォルダ容量が外付け HDD(240MB)の倍も占有している。どうやら壊れているようなので既にマザーボードが壊れてお蔵入りになっている Mac IIcx 内蔵の 1 GB HDD と入れ替えた。ところが物理フォーマットが予定の 1 時間を遙かに超えてもまだ終わらない。強制的に電源を切りイニシャライズのみ済ませ、OS - 7.5 を入れたところで時間切れ。パソコンとの格闘は続く。( PLUTO )

1998 Nov. 03 お塾

 インターネットサーフィンをやっていて、とあるお塾のページに「11 月 3 日・無料公開テスト」とあるのをみつけ早速チビを連れていった。( PLUTO )

1998 Nov. 09 パソコン解決

 Power Mac 8100 / G3 に新しい 4.5 GB HDD を積んでこれが起動ディスクにならない問題はニフティ・FMACUS での助言により解決。理屈はよくわからないが、8100 では SCSI 回路と HDD 搭載 ROM の関係で 4 GB 以上のディスクは起動ディスクにできないそうな。そこでパーティションを切り、3999 MB を作ったら簡単に起動してしまった。パーティションを切ったのだから残り 500 MB 程度の小さなディスクができてデスクトップにもマウントされるいるはずだが不思議なことにこれが出てこない。4.5 GB が 4 GB に縮んだだけ。因みに OS - 8.1 での拡張フォーマットを行うとこれまた起動ディスクにできない。残念。既にシステムフォルダ並びに諸々のアプリケーションインストールを済ませた。

 無線ログ専用となっている LC - 475 に IICx から移し替えた HDD / 1GB は OS - 7.5 から 7.5.5 へのアップグレードを済ませ、必要なアプリケーションをインストールした。RAM が 12 MB しかないのが難点で同時に起動できるアプリケーションがせいぜい 2 つである。RAM - DOUBLER を使うと動作が不安定になるし悩むところ。

 さらに同一 HDD を求め職場の 8500 / G3 に増設。こちらは問題なく起動ディスクとなりこれからシステムフォルダの整理とアプリケーションをこれからインストールするところ。( PLUTO )

1998 Nov. 14 移動運用日誌

 無線のコーナーに業務日誌をアップしてみたら同日同時刻の交信があったり電脳ログ帳への転記ミスが目立つこと。全部消して新たに移動運用に限ってアップすることにした。ただいまファイル作成中。( PLUTO )

1998 Nov. 16 久しぶりの山歩

 久しぶりに山を歩いた。低山徘徊派ミーティングである。好天に恵まれ美人多数の参加もあって楽しい山行だった。JL3IXW・島田さんの駄洒落も健在。ただ、帰り道の渋滞を避けようとして逆により酷い渋滞に突っ込みドライブに疲れてしまった。

 さて、火曜日夜から水曜日未明にかけて獅子座流星群のピークを迎える。どこかへ見に行こうとは考えていたが下見もせず行き当たりばったりになりそうだ。天気は下り坂だそうで心配。( PLUTO )

1998 Nov. 17 天気は冬型へ

 仕事を終えたらすぐに出発できるよう、荷物を整えて出勤した。勿論車。既に前線が通過したようで西高東低の気圧配置になるのでどちらへ向かうか思案のしどころ。能勢・妙見山、和佐又、生石高原など。小刻みに天気予報を調べねばならない。( PLUTO )

1998 Nov. 19 獅子座群ピークは 14 時 JST だった

 まあよくあることで、彗星の明るさや流星群のピーク時間帯は特定できないと断定できるほど。マスコミが騒ぐほど外れるという法則すら存在する。

 さて、天気図を眺めた結果、能勢・妙見山へ出かけた。広いパーキングにはゲートがロックされていて入れず。とにかく荷物をパーキング内へ運び込む。東空の開けた壁際に陣取り(ちょっと失敗。やはり全天見渡せる場所がいい)シュラフに足を突っ込んで観望と決め込む。夜半頃大きいのが数個流れたきり出現頻度は増えそうにない。やがて獅子座が昇ってきた。新調した 50mm F1.2 標準レンズを輻射点に向け、2 分間露光を繰り返す。北斗七星方向へ流れるのが多く気になるが、輻射点に集中する。「お、出た。これはいただき」と思ったらカメラが電池切れでシャッターが作動していない!慌てて予備の電池に替える。

 マスコミを信じて 03 時頃から急に人出が増え始めた。流星が流れては歓声を上げるのは結構だがストロボを焚く連中、自分たちの記念写真であろうが(まさか星を撮るのにストロボが必要と考える人はいまい)夜空を撮影中の者には実に迷惑。( PLUTO )

1998 Nov. 25 レーザープリンター

 随分くたびれてきた Deskwriter 560 C に替わり、Epson LP - 800 というのを仕入れてきた。無線の交信証印刷に使ってみたらなんとまあ速いこと!前のはインクジェット・カラーだったので遅くおまけに給紙不良を起しやすかった。これで随分助かる。

 水曜日が休診なので月曜日か火曜日が祝日のときは間を埋めて四連休にしている。「ズボラな医院じゃ」と思われていることだろう。テント担いで大峰でキャンプ、などと考えていたものの近頃尻が重い。雑用が沢山あるのでせめてそれを片づけようと思うがままならず。( PLUTO )

1998 Nov. 26 獅子座流星群写真全部失敗

 やはりテスト撮影はやるべきもの。現像があがってきたプロビア 1600 はすべてのコマが露光オーバー50 mm F 1.21 分, 2 分 だけで撮影したのだが、、、それにしても能勢・妙見山の空も明るくなった。F 1.2 では 20 - 30 秒が限界のようです。( PLUTO )

1998 Dec. 08 ドコモ・アナログ廃止反対

対英米開戦記念日

 1999 年 3 月末をもって NTT DoCoMo 携帯電話からアナログ方式が姿を消すとのことで「お手持ちのアナログを格安・番号そのままで最新式のデジタルに」といった内容のハガキが 9 月頃から目立つようになった。気になるのは「お客様と連絡が取れず、既に再契約された方には、、云々」の文面である。そもそも携帯電話を契約するときに有線電話番号やら住所やら運転免許証まで提示している。連絡が取れないなどあろうはずがなかろうが。

 他社のアナログを探す予定の私はドコモは 3 月末になれば自動解約になるだろうと連絡ハガキをすべて破棄し続けた。ところがつい先日 NTT から電話がありハガキに書いてあることと同じ事を言う。またもや気になったのは「ようやく連絡が取れまして、、、」である。私はデジタルを使う意志がないこと、自然解約を待っていることを伝えたら「解約処理がなければ停止扱いとなり基本料金を頂戴することになります」だと!そんな重要事項をなぜハガキに書かぬか。或いは皆が無料のデジタルに飛びつくとでも思っているのか?解約時期を考えているところである。( PLUTO )

1998 Dec. 08 アナログ全廃へ

 近くのショップへ出向きいろいろ話を聞いた結果アナログ方式の携帯電話は NTT が 1999 年 3 月末に廃止、唯一残っているセルラーもいずれは同じ運命だろうということであった。さてどうしよう。( PLUTO )

1998 Dec. 18 戦争

 先の湾岸戦争は石油に関して主導権を握りたいアメリカがイラクに対しクェートに侵攻するよう挑発工作した結果ともいわれている。非常に胡散臭い。なにより人殺しに大義名分などあり得ない。( PLUTO )

1998 Dec. 19 20 世紀?

「日録 20 世紀」という週刊誌を購読している。最新号を見て吃驚したのが次号「1900 年」の予告。20 世紀は 1901 年から 2000 年まで。1900 年は 19 世紀最後の年である。( PLUTO )

1998 Dec. 24 年末

 仕事関係の雑用に加えて年賀状やら(虚礼反対!)チビ達のクリスマスパーティなんぞの準備、夜は遅くまで人気の少ない土手に長い釣竿を立てて怪しげなことをやっていると(この仕事には後処理のおまけが付く)12 月は忙しいということを痛感する。

 棚ボタのごとく Nikon F3 AF が手に入ることになった。同じく素晴らしいブラスの電鍵が幾つか手に入ることになった。PADDLE PROFI、ご存じですか?私も初めて見ました。猫に小判。言われる前に自分で言っておこう。昨夜は遅くまでその電鍵を眺め、触り、撫でたりして今日はまた寝不足。( PLUTO )

1998 Dec. 26 ブラスキーヤー

 先日棚ぼたで入手したのはドイツ Schurr のハンドメイド電鍵、PADDLE PROFI、MINI PADDLE、MASTER KEY、MOBIL KEY、EMK の 5 つである。なかでも PADDLE PROFI はどっしりしていて見ているだけで惚れ惚れする。MINI PADDLE は台座が付属しておらず、あとは自由に作りなさいということらしい。MASTER KEY、MOBIL KEY の 2 つは縦振のミニキーでつまみが皿状を呈し、現在使っている HK - 702 とはずいぶん勝手が違う。送信練習から始めねば。小さいが感触がとてもいい。EMK はエレキーである。これに至ったきっかけはそもそも JI3IVL・森さんに見せて貰った SCHURR の大きな縦振がこの一年、心に引っかかっていたので古い友人に尋ねてみた結果なのだが、あいにく当の縦振キー ULTRA CHAMPION は既に手放された後だそうで残念至極。これに未練があるので現在個人輸入を試みている。カタログ請求のファックスを送り「無料で発送した」旨の返信を貰った段階である。経過は追って報告することにしよう。( PLUTO )

1998 Dec. 27 パドル台座造り

 上記 MINI PADDLE の台座を作り始めた。材料は 100 * 60 *5 mm の真鍮板 3 枚、100 * 10 * 10 の真鍮角棒 2 本。作業時間約 8 時間で概ね組みあがった。あとは凸凹をヤスリで削り、綺麗に磨くことと配線。PADDLE PROFI と並べるとみっともないので見えないところに置いてある。( PLUTO )

1998 Dec. 28 雑用の山

 年賀状と交信証のプリントを片づけたものの仕事関係の雑用が山積状態。自室も狭い院長室もゴミが溢れ返っている。あ、月末の支払いがまだ、、、
 大掃除は元日にでも、、、( PLUTO )

1998 Dec. 30 ラジコン飛行機

 とはいっても電池とモーターで動くやつである。随分前に組み立てて広い場所を探す面倒にかまけて近くの公園で飛ばしたら立木にあたってプロペラが折れてしまった。郵便で定価どおりプラス送料の合計 1000 円也。本日は服部緑地の運動場のごとき広場を見つけ人もいないしといい具合でやっていた。子供らの喜ぶこと。しかし陽も落ちて今日最後のフライトだと飛ばしたら垂直に近く墜落してしまってまたプロペラが折れた。後日日本橋で 3 枚購入。1 枚 760 円。( PLUTO )

1997 1998 1999 2000 2001 2002

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