昨日は思い切って粗大ゴミを大量に放出。「まだ使えるかも」などというシロモノを捨てることから大掃除は始まる。( PLUTO )
これまた溜め込んでいた交信証、1998 Sep. 20 午後から 1999 Jan. 01 までの分を本日巣鴨へ送ります。( PLUTO )
17 日の日曜日はカブ隊のデンリーダーをやっているヨメハンの体調が優れないため私が替わりに出ることになった。今回はたこ揚げ大会。あいにく風が弱くあまり揚がらなかったがチビ達は楽しそうにやっていた。整列、キヲツケ、ヤスメ、敬礼なんぞ私の性にあわない。なるべく出席したくない行事である。( PLUTO )
1. 患者が VIP であって教授、助教授など上の者が直々に主治医を担当した場合。
2. 主治医である研修医が常識破りのアホウだった場合。
この 2 つしかないと思うが、、、さて? 1. ならば新聞、週刊誌読者に真実は伝わらず、当事者同士でうやむやに片づけられる。2. ならば結果の見えている訴訟がこれから始まる。
つい先日妙なことが起こった。このサイトのメールページに「押すだけボタン」を設けてありそれをどなたかが押すと私宛に定型メールが届く仕掛けになっているのだが、相次いで届いた二通のメール差出人がなんと私自身の I.D. だったのである。しかもそのタイムスタンプ、私が寝ているときである。アサヒネットのパスワードを解読されたかと取り敢ずウェブ経由でアサヒに入りパスワードを変更しておいた。パスワードを盗めばいろいろ悪さをするだろうから簡単には自身のアサヒへのアクセス状況を調べるのが手っ取り早いがウェブ経由でまごついている。或いは借り物の CGI サイトの何らかの不具合かもしれない。( PLUTO )
数値地図・50m メッシュというものを買ってきた。さて、どう料理できるやら?( PLUTO )
またぞろ英語のページを作ろうとあがいている。取り敢えずは SCHURR KEY 個人輸入の件や薄っぺらい天文のページから。文章を極力省き画像に頼るのが無難。重くなるぞ。( PLUTO )
8.5 にアップデートしてからおかしくなったのはヤノ電器製 MO ドライブ。ディスクから不要ファイルをゴミ箱へ入れると「これはゴミ箱から取り出せません。すぐに消去しますか?」というメッセージが出ること。8.5.1 にしても変わらない。ヤノ電器のサイトを調べたが 8.5 対応ドライバーソフトは見あたらない。別段致命的エラーではないが、、、( PLUTO )
「カシミール」のダウンロードを自宅で時間帯を変えたり何度も試みて「残り時間:120 分」に降参。結局職場で 30 分程で入手できた。あとは Win - 98 の使い方に慣れること。( PLUTO )
OS - 8.5.1 に変えてから挙動がおかしくなった 640 MB MO ドライブ、案の定突然ディスクがヘンであるという警告メッセージが出た。慌ててハードディスクにバックアップしてから MO ディスクを検査してみると不良ブロックがゾロゾロと。物理フォーマットを何度も繰り返しやっとこさ元に戻したら容量が 604 MB に減っていた。別のディスクに変えるべきか。などといろいろあってサイトの更新が停滞している。( PLUTO )
「レッツホレ」という JR1LHK・明石さんの作られたアプリでは「44kHz 音源が搭載されていません」というメッセージが出て使えない。パソコン本体にその音源はあるんだがなあ。以前ノート 98 で時々やっていた「98TON2 for DOS / WIN」(最新版)は画面に入力文字が出ない。しかし指示通りに操作すると得点だけ表示される。エミュレーションソフトを使っているだけにいろいろ問題があるのでしょう。ちゅう具合に今パソコンにはまっていて山歩きもページ更新もムセン交信も休眠状態。紀伊の山、早く行かないと雪が溶けてしまう。( PLUTO )
一週間後その患者さんが挨拶に来院されたおりその後の顛末を尋ねて驚いた。
「それを今はずすとまた出血するので(少量ながら出血は続いているのである)数日後抜去する」と言われさらに「肝機能が悪いようなので(当たり前である)内科を受診するように」と帰されたそうな。
S 市民病院は紹介先リストから外す。( PLUTO )
山といえば彼岸の大普賢岳は天候不良もあったがとうとう行けなかった。近頃やたら忙しくなってしまってひょっとしたら今年はゼロ山行などとも考えてしまう。ムセンキの電源も確か 3 月 3 日以降入れていない。代わりに冷却 CCD、自動導入赤道儀の調査に忙しかったりする。
バッテリーがあがった。新車時以来まる 6 年間メンテなしであったからボチボチかもと思ってバッテリー液比重計を買っておいたのだが使う前にやってしまった。昨日カーショップへ出かけて交換を依頼するときに比重を計ってみたら二つのセルは正常、一つが異常、残りの三つは調べず。( PLUTO )
彗星観測者のメイリングリストに参加させて貰って情報を収集しているが皆さんセミプロ。プロも混じっている。出てくる術語一つずつ参考書を調べねば、とはいっても古い書物には載っていないし先日半日潰して梅田の巨大書店三つを回っても今ひとつ。天文月刊誌 "Sky & Telescope", "Astronomy" は紀伊国屋でのみ見つけることができた。年間購読するのがよほど安いが(半値以下?)英文の書籍が毎月送られてきても読み切れるものやら?近頃情報過多なのでモノを整理している。手始めは月刊誌”山と渓谷”の定期購読中止。ちと寂しいが。
10 年来のマックユーザーであるが冷却 CCD による観測(カメラ・赤道儀制御)に関してはマックで使えるアプリケーションがほとんどなく先日から "Virtual PC" で Windows - 98 を動かし慣れようとしているがやはり実物でないと、、、(マックから離れる気は毛頭ない。Win は使いにくいぞ!)仕事に使う所謂レセコンも近頃はパソコンをベースに動くものが増えてきておりソフトだけ買えばいいので現在使っているメディコムみたいに価格面で不明朗なところがない。ところがこれまたマックにはこれといったのが見あたらずなおさら Windows に慣れる必要がある。というわけで ThinkPad i 1436 というノートパソコンを買ってしまった。箱を開けただけでセッティングはまだ。今後 LAN, Ethernet などというものも勉強していかねばならない。( PLUTO )
住人の中にバイクで歩道上を走りながら補修工事のおっちゃんたちに「みんなこの世界から出て行け」だの「息子を殺したのはお前らや」だの叫ぶ婦人がいるそうな。息子さんは時折上半身裸でうろついたりしていたが近頃見かけないという。ご亭主も以前はたまに見かけたが今はとんとお見限りらしい。
自治会活動の一つに子供の安全を守るということで奥さんたちが交替でアパート周辺を見回ることになっている。先日そのご婦人が荒れていたとき見回りの奥さん達は公園で遊んでいる子供たちに「今日は危ないから家に帰りなさい」と「避難勧告」を出して回ったとか。
以上はあくまで聞いた話。この目で確かめたのではない。すなわち当のご婦人を見かけたことはなく話したこともないのでなんとも判断しかねるが重度の神経症或いは精神病に違いなかろう。自治会の態度からは「なにをされるか分からない恐怖」しか見いだせない。ご婦人を少しでも楽にしてあげる方法を考えようという雰囲気は微塵も感じられない。他人にあれこれ干渉できないのは承知だが、、、精神障害者に対する世間の眼は「恐怖」「好奇」だけなのだと今更ながら思い知った次第。( PLUTO )
代わりにと言ってはナンだがムセンに使うグリッドロケーターという六文字から経度・緯度を導く式を作って同じく FileMaker のテンプレートに仕上げた。こちらはあっけなく出来上がり、既にニフティ・FHAMTC のライブラリにアップした。このサイトから直接ダウンロードできるとよいのだが方法が分からない。いずれ式だけのテキストファイルでもアップしよう。あ、万が一ご希望の方はご一報下さい。( PLUTO )
次に手を着けたのが円軌道決定法テンプレート。バグも順調に取れてきた。仮の軌道が決定したらそれを使って位置推算をやるのだがその計算式がうまくいかず例えば第一観測の日付を入れるとその日の赤経・赤緯に一致する数値が出るハズなんだがこれが数十秒ズレる。まあ、軌道要素が出るのでほぼ完成とする。
この類の計算をする際に「太陽の赤道直交座標」という数値が必要で天文年表に出ているのだがデータ間隔が一日なので観測時刻に合わせねばならないがこの変化の仕方が一次関数的でないため比例計算が使えない。そこで書物を漁って計算法を見つけだした。「天文計算入門」 長谷川一郎著 恒星社、東亜天文学会誌「天界」・1991 年 11 月号。例によってテンプレートを作り日付を入れてみると小数以下 3 桁までしか合わずこれでは実用にならぬ。公式には桁数の多い数字が多数並ぶので間違いがないか再確認が必要。それでも合わねば式の立直しが必要。すべて「FileMaker Pro. 4.0」を使っているが有効数字何桁まで計算しているのやら?こちらに必要なのは 5, 6 桁なのでそれを下回るハズはないが、、、( PLUTO )
「耳があ、ヘンなんですう」
「どちら側?いつ頃からです?痛いんですか、聞こえにくいんですか?」
「こっちぃ、、、、、、一ヶ月くらい、、、、、」
「ああ、これは外耳炎の進んだものでもう膿がたまっている状態です。切るのが手っ取り早いけれど抗生物質をしばらく続けたら自然に膿が出てくるでしょう。ところでなんで一ヶ月も放っておいたんですか」
「忙しくてぇ、、、あ、診断書書いて下さい」
「ん??提出目的によって書式が変わりますが、どういうわけで必要ですか」
「診断書出したらぁ、授業欠席できるからぁ」
「・・・・・・・」(外耳炎くらいで休める学校があるのか。しかも一ヶ月も放っておいて。そろそろ夏休みだろうにそれ以上休んでどうするつもりか?( PLUTO )
コナン・ドイル「シャーロック・ホームズの冒険」「緋色の研究」 創元社文庫
内容は面白いけど英米文学の日本語訳はどうも苦手。中・高の英語授業で常に感じていた「違和感」を思い出してしまうのだ。
吉田 裕「昭和天皇の終戦史」 岩波新書・257
中国や韓国が日本に対して戦後補償その他を未だに迫り続けているのを半ば不思議に感じていたが少しは分かったような気がした。無差別爆撃や原爆で国民は充分痛めつけられた。当時の国際法に照らして『裁判』とは形式だけの「復讐興行」だったと開廷当初から認識されておた東京裁判で指導者は殺された。当時の内大臣・木戸幸一は天皇に対し巣鴨の獄中から「時期が来たら(サンフランシスコ講和条約のこと)退位されるのが良い。さもなくば皇室のみの無責任が浮き彫りにされるだろう」と言ったが取り上げられなかった。アジアで日本だけが浮き上がっている一因はこれかも知れない。
清瀬一郎「秘録 東京裁判」 中公文庫
日本は「無条件降伏」したのではなくポツダム宣言の各条項を認めた上の「条件付き」降伏だったのですなあ。一方条約も何もなく国も軍隊も破壊し尽くされたドイツの負け方が「無条件降伏」だったそうな。著者が東條被告の弁護を担当した関係もあろうが文官で唯一死刑になった広田弘毅氏について記述がほとんどないのは物足りないことだった。
先の戦争については様々な書物が出ていてとても全部読み切れるものではないがせめて既に読んだものも含めてまとめて再読してみよう。幸い右寄り、左寄り、真ん中と、ウチの蔵書には政治的バイアスのかかった書物が均等にある。ところで国体護持というのがなぜにそれほど大事なのか、1957 年生れの私には全く理解できない。北一輝やら大川周明なんて難しくてとても読めそうにないが頑張ってみるか。(因みに私は右でも左でも無く、ただ現代史に興味を持つだけの小市民です。右翼の方、どうか私を刺さないで下さい。)( PLUTO )
全山行記録の修復を完了した。さて新しいネタは?( PLUTO )
現憲法下に於ける天皇制という視点から書かれたもの。印象に残ったのでしばらくの間内容をかいつまんで紹介しよう。因みに出版は 1990 年 7 月 20 日、昭和天皇死去の一年半後である。
大日本帝国憲法の時代には天皇制を設けるなどの発想は全くなく、まずなによりも歴史的・伝統的な存在である天皇があって憲法がそれを確認的に記述したにすぎないのに対し、日本国憲法は新天皇制を創設した。(横田喜三郎『天皇制』)その地位についてみれば帝国憲法時代には天皇が国の主権者であり、その根拠は神の意志(神勅)であって国民がそれについて一切口出しできない。一方現憲法下では「天皇は日本国・国民統合の象徴であってこの地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」(憲法第一章第一条)。機能については前者では統治権の総覧者であるのに対し後者は一切の政治的機能を持たず、形式的・儀礼的行為しか行えない。
この説では現憲法の天皇制度は憲法の施行に始まるのであるから初代の天皇が就任したのであり、従来の裕仁天皇が新憲法でも天皇であるのは「たまたまその地位にいままでの天皇をつけた」ことになる。この立場からは「昭和天皇在位六十二年」とか「第百二十五代明仁天皇」などといった認識はあり得ない。
うーん、これにはびっくり。目から鱗。
大日本帝国憲法は天皇制を創設したものではないから天皇の立場は憲法の規定するところに限定されず、広大な領域が天皇には残されていた。強大な権力が集中する天皇の立場は専制君主的であるが立憲君主的な面もあったようでわかりにくい。敗戦前の天皇の立場を理解するためには憲法を眺めても無駄であり具体的運用を見る必要がある。
たとえば昭和天皇は大権を行使する際に内閣の補弼があればそれを拒否しないことを心掛けた。もちろんこれは天皇が政治の枠から外れていたということを意味しない。天皇は「御下問」(質問)の形で意思を表明し、内閣はその意を受けて行動する。不裁可の例はないものの自分の意思に沿わない補弼を内閣が行った場合にはいつまでもこれを裁可せず、内閣が補弼を取り下げたりしている。従って統帥事項はもとより政務事項にも天皇は大きな役割を果たしていた。因みに内奉(補弼の前に総理大臣が「今内閣はこんなことを考えております」と天皇に伝える)が多いほど天皇は政局をつかみやすく、自分の意志にあう政治ができるので好都合である。1941 年秋からの東條内閣が頻繁にこれをやり天皇の信用を勝ち得たのだと前に紹介した書物(さて、どれだったか?)に書いてあったことを思い出す。
現憲法下では天皇は憲法を超越した存在ではないのでこれを遵守せねばならない。それがいかに歴史的存在としての天皇にとって本質的・不可欠の行為であるとしても憲法に違反する場合には行うことができないし存在様式も憲法に矛盾するものであってはならない。このような制度としての天皇は主権者である国民のために存在する国家機関であるから、内閣総理大臣などと同様、公務員として把握することができる。
天皇を公務員だと考えたことはありませんでしたねえ。これまたびっくり。( PLUTO )
旧憲法下では「天皇に私なし」とされていたが現憲法下では公私が区別されねばならない。天皇の公的生活には宮廷費が、私的生活には内廷費が支出されているのはこの区別に基づく。
敗戦前には皇位継承の順位などを定めた「皇室典範」というものがあった。これは大日本帝国憲法と並ぶ国家の最高法規範であり、臣民はもちろん帝国議会さえその改正に関与できなかった。「皇室典範」の内容は皇祖皇宗の「遺訓」を前提としており、これまでの慣行を確認し明示化したものと位置づけられていた。現憲法下でも(紛らわしいことに)同名の「皇室典範」が存在している。勿論これは憲法第二条が「国会の議決した皇室典範」と規定する「法律」であって憲法の下位法である。
「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、、、(憲法一条)」における「象徴」とは天皇を日本国・日本国民統合を連想させる具体的なものとして設定するという意味でありそれ以上の意味を考える必要はない。「日本国民統合の象徴」とは「国民を統合する」象徴ではなく、「国民が統合していることを」象徴するのである。
あー、疲れた。続きはまた、、、( PLUTO )
球場前の売店で土産物を物色。パジャマ代わりにとメッシュタイガースユニフォーム【背番号は 28(今福原、昔江夏), 32(坪井) 希望】をみたらなんとまあ 6000 円近い。すぐに諦め、例の空飛ぶ風船、メガホンを長男に買ってやる。
まずは入場口にて台湾地震義援に僅かながら協力する。
甲子園のグランド、殊に芝生は美しい。位置が上がって電光掲示になったスコアボードにはやや不満だがカラー画面はそれなりに便利で面白い。トイレも随分美しくなった。まあ、昔が汚すぎたのかもしれないが、、、
「内野特別指定席」を奢ったのだが入場料 3500 円にびっくり。しかも子供料金の設定がない。阪神球団のケチぶりは今に始まったことではないが、、、最下段はグランドに近いがやや見にくいので最上段まで移動した。これでは一ランク安い「内野 A 指定席」の位置とほとんど変わらない。内野席なら後者がオススメ。アルプススタンドは空いているがグランドからいよいよ遠い。さらには外野にまで指定席が設定されていてライト側全部とレフト側へ少し入り込んだ部分まで阪神ファンでスシ詰め。ライトスタンドでは応援団が盛り上がっているし(連中、試合後もいつまでも居残ってバンザイをやっていた)静かに観戦したいなら自由席・レフト最上段付近が良かろう。ドラゴンズファンはレフトスタンド・センター寄りにかたまってラッパを吹いている。
両軍の練習が終わり試合開始直前、タイガースの選手達が練習に使っていたボールを惜しげもなくスタンドへ放り込んでくれる。ベンチ後ろのボックス席に陣取っていなければこれらはゲットできない。試合終了直後にはジョンソンが帽子とリストバンド、その他選手達が時分の用具をこれまた放り込んでくれる。チビは地団駄を踏んでいた。
若い女子の観客が目立つ。試合前、「きゃー、つぼいくうん~」「あー、赤くなってるぅ」等と黄色い声が飛ぶにはびっくり。時折流される今風のうるさい音楽にはやや閉口。観客の声援にかき消され兼ねない程度なのでまあ許す。
球審に綺麗なボールを渡す係りの女の子、タイガースのユニホームを着ており膝上までのズボン。ボールを入れるのが竹で編んだ(?)バスケット。うー、可愛らしい。(^^;) 同じ女の子がおよそ三イニング毎に塁審におしぼりを配って回るのはテレビ中継では見られない。審判のおっちゃん達、このときはニコニコ。
消化試合にも関わらず 23,000 人もの入場者があったとか。三塁側内野はガラ空きで混雑を嫌うタイガースファンの姿がチラホラ。私達のすぐ前にサラリーマン風のドラゴンズファンがおったが周りの雰囲気に居づらくなったのか途中でどこかへ行ってしまった。
先日購入したデジカメを 9 倍の双眼鏡接眼部にあてたり、オーソドックスに 35 - 105 mm F 3.5 - 4.5 を使ったりして写真を撮る。デジカメはライカ判相当で 35 mm レンズの画角だそうで、ならば 9 * 35 = 約 300 mm レンズを使ったことになる。ただシャッター速度が遅くなるので動きの速い対象はうまく写らない。上記ジョンソンと福原はこの手法で撮影した。ライカ判の方は ISO 400 のネガカラーを使ったがレンズが暗いためシャッター速度が 1 / 60 から 1 / 15 くらいになってしまう。プレス席に陣取るプロカメラマンのように 300 - 400 mm F 2.8 なんてのがないと太刀打ち不能。こちらは記念写真であるからこれで良いのだと負け惜しみ。
試合の方はメデタくタイガースが勝ったが今年一年を象徴するような「屁」の如き内容だった。最下位までマジック 1。( PLUTO )
寝る前に空を見上げるが散在が一つ、大きくて明るくゆっくりと土星からリゲルへ向かって流れていった、、、( PLUTO )
追われて続けている雑用も一段落し、半年間電源が入っていなかったムセンキに灯が点った。ログ整理用の LC - 475、挙動がおかしいので CD - ROM から起動できる OS - 8.1 をインストールしたがまだおかしい。もしかして?と内蔵リチウム電池を入れ替えたら無事動き出した。しかしこの機種に 8.1 はさすがに重い。メモリーも 12 MB では全部 OS に持って行かれるので仮想メモリを使わねばならずますます遅い。ヒマを見て 7.1 に戻そうと思う。
それと同じく半年ため込んでいる交信証をそろそろ整理して送らねば。できれば、JA3RL の公開運用日である明日 19 日にでも直接持ち込みたい。余計なことに 1.9 MHz の JCC を数えたらずいぶんな数になっていた。あと 31 市で 300 になるのでそれまで待つか、あるいは JCC - 200 でアワードを申請してみるか?、、、等と考えると時間が取られる。というわけでまた 1910.5 kHz 近辺に良く出ています。どうぞ呼んで下さい。空振りの時は 3514 kHz。欧文ラグチューはできなくなってしまいました。まれに 430.09 MHz 付近で「CQ - * * - - -」を打つときもありますがまだまだ下手なのでお手柔らかに。時間帯は 20 - 22 時位です。( PLUTO )
帰途、少し遠回りして西成区の工場地帯に 9 メートルの釣り竿を建て、1.9 MHz, 3.5 MHz で波を出してきた。1.9 MHz、71 分間で AJD ができてしまった。今日は一年ぶりの移動運用。こういうとき調子に乗って連続運用やってしまうことが多い。無線設備は車に積んだまま一年間メンテナンスなしだが部品漏れもなく動作して一安心。( PLUTO )
話が前後するが、京都の宇治天体精機におじゃまして社長の村下さんから望遠鏡の話を沢山聞いてきた。機械を作るのが好きで小学生の時から天体望遠鏡を作り、高校生の頃既に立派な赤道儀を作ってられたのには驚き。大学の卒論が「20 センチ赤道儀式望遠鏡の製作」とは!公務員になるつもりが卒業と同時に宇治天体精機設立となってしまったそうな。当時中学生だった私は天文雑誌に載る村下さんの写真や記事を思い出すのであった。趣味が仕事になってしまう程の人が作る望遠鏡に間違いはないと確信する。「理屈を考えるよりやってみることが大事。正否にかかわらず思わぬヒントを得ることが多い」の言葉には重みがあった。高校天文部の部室には先輩達が磨こうとして失敗、放棄された反射鏡や鏡筒が転がっていたのを思い出す。私は大学生のときに 10 cm, 20 cm の放物面鏡を磨いたがそこまで。マウントする元気はなかった。ただただ脱帽。望遠鏡工場の見学は面白く、実に楽しい。( PLUTO )
またもやローバンド移動運用。本日は大阪市浪速区。国鉄廃線跡の空き地にラジアルを展開してアンテナは自由空間。警備員の目が気になる以外は満点のロケーション。延べ 75 局に呼んでいただきました。あーしんど。しかし新しい市は無かった模様。(泣)( PLUTO )
1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 |
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