因みに看護婦は卒後間もないヒヨコであろうが正式な職員であって、勤務時間などとくに厳格に定められている。
例えば外来で局麻手術を受けて入院している患者は外来担当の医師(これも新米の仕事)が昼過ぎに診に来るのだが、つい処置担当の看護婦に用事を頼むと婦長やら主任やらから目玉を喰う。
「あなたの仕事は病棟の患者さんを看護することです。もう時間です。そんなの放っといて早く食事に出かけなさい」
病棟看護婦は外来に関知してはならないそうで、患者にしてみれば外来で手術を受けたということ以外他の入院患者と異なるところはないはず。そもそも患者に向かって『そんなの放っといて』だと。モノ扱いではないか!主治医もつかないし差別される理由がわからず怒っているに違いない。新米医師は道具を探すのも研修のうちと割切ってるから腹も立たない。
更に、看護婦は採血や静脈注射をやってはならないそうで(ホンマかいな、医師法・医療法を探してみよう)それを「仕事が少ない」と喜ぶ者、逆にそれでは将来役に立たない看護婦になってしまうと危機感を抱き、例えば個室で点滴をうつとき「センセ、その仕事私にやらせて。婦長には黙っててね」などというカワユイ子もいる。こういう子は頭が良く、気がつき、だいたいにおいて美人であり優秀な看護婦として出世するし、よその病院へ移っても優遇されるのだ。
0700 医局。急いで着替え、病棟へ。
深夜勤の看護婦が揃えた注射器、採血容器満載を押して独り病室を回り、検査のための採血を始める。血管を見つけにくい人、針を刺そうとしても移動して逃げてしまう血管をもった人等々のため、殊に人数の多い月曜日など二時間以上かかることすらあった。
貧血が悪化する一方の患者がおり、主治医には理由がわからず毎日血液検査の指示を出していた。いつまでたっても原因がつかめず、ついに血液内科のドクターに往診を依頼した。
「採血は一回 20 cc で、毎日ですか・・・ 採血をしばらくおやめなさい」
わはは、過検査による貧血だったのだ。毎朝採血をやっている新米ですら、(このあと全部削除)
0900 処置室にて受持ち患者の診察。先輩達もちらほら出勤してきて自分の患者を診ている。入院患者の診察には担当の看護婦が必ず一人つき、患者を部屋から呼んできたり処置に必要な器具などを出してくれる。さしてエラクもないくせに重役出勤してくる者がいて処置係の看護婦がしばしば怒っていた。
1000 この頃にはおおかたの処置が済んでおり、点滴が始まる。採血は一人だが点滴には受持ちの看護婦がついてくれる。こちらは針を刺し、看護婦が絆創膏固定してくれるのを待つ。やはり「探しにくい血管」「逃げる血管」「もろい血管」には悩まされる。全部終わっても「センセ、○○さんの点滴、漏れたわよ」と呼ばれてやり直し。患者さんも辛かろうがこちらも辛い。
担当すべき患者が入院してくる日はまず挨拶、そして診察。検査結果や今後の治療方針について説明し質問を受ける。
1200 仕事を終えた者、たまたま近所にいた場合とかいつも仲良くしているとかの理由で連れ立って昼食。
1300 一仕事終えると医局に戻って手術書を読んだり、あるいはのんびりと休憩したいところだが新米は常として病棟から呼び出される。点滴が漏れたからやり直せだとか、特別な薬ゆえ「今うたねばならな」かったり。先輩達の多くはバイトに出かけていく。
病院に残る医師の数は減り、病棟とは常に不穏なところであるから新米など特にその場におらねばならない。耳鼻科では例えば喉頭癌、舌癌、上顎癌など頭頚部の悪性腫瘍を手がけるから再発患者を最期まで診るのも道義的に言って当然のことである。
それにしても再発癌患者が多かった。死亡診断書、いったい何枚書いたことか。
「用事がないときは病棟をうろついておけ」とは心ある先輩医師の助言であった。
午後のおおかたの時間を病棟で過ごし、臨時の点滴があったり、急変する患者もある。先輩達が行う処置を見て覚える実地の勉強ができるし、幸か不幸か(患者にしてみれば不幸に違いないが)自分以外に誰もいない場合は新米だろうが自分で判断して自分で処置を行わねばならない。何もなければ先輩が担当している患者のカルテやらレントゲンやらを眺めたりする。
1600 三交代制である看護婦の勤務交替時刻。八時から十六時までが日勤、二十四時までが準夜勤、朝八時までが深夜勤である。この時間帯は「引継ぎ」であって近所をうろついていると邪魔にされる。
1700 サラリーマンなら退勤時刻であるが医師、殊に新米に退勤時刻などない。まあ、この時刻以降の仕事は当直医の担当となっているが新米がさっさと帰宅すればいつまで経っても新米のままであるから用事がなくても病棟にいる。夕食くらいは外へ食べに行くけれど。
夜半前には帰宅していたと思う。