一応は平等に割当てられるが固定的バイトを持っている上の者の中には当直などやりたがらず、新米の私たちは貧乏のせいもあるが更に研修したいわけで当直を希望している。ここに利害関係が一致し、先輩達もそれをよく知っているから自分の分を代りにやってくれ、となるわけだ。
調子に乗って片端から引き受け、年に百回くらいやった時期がある。(年末・年始は別にくじ引きがあるが幸か不幸か正月のど真ん中に当たり、その前後を交替により固められて正月が全部潰れた年があったような気がする)この頃は自宅に帰ってのんびりしたという記憶がない。遊ぶ時間もなく、学生時代は毎週末にレコードを買ったり星を見に山へ出かけたりしたがそんな娯楽からも離れてずっと病院にいるわけだから貯金ができたのは嬉しかった。
「新米ばかりに当直をさせないで欲しい。不安である」との病棟婦長の意見がとおり、二名当直制ができたのは私の入局後五年目くらいだったろうか。
病棟の端っこ、病室を流用した部屋が当直室。当直医の勤務時間は午後五時から翌朝九時まで。
午後五時以降大学病院内の耳鼻科医がたった一人になるかというとさすがにそのようなことはなく、熱心な数名の先輩達が病棟で受持ち患者を診たり、実験室に籠って研究をやったりする。一人きりになるのは零時頃からだったろうか。母校の耳鼻科では当直でもないのに病院で寝泊まりする医師が多かったし講師、助教授など上の者も残って深夜まで若い者(学生も含む)を指導していたから(それがむしろ当り前の状態)「こんな大学病院があるものか」と疑問に感じたことだった。
当直医はまず、昼間よりぐっと回数が減るものの定時の点滴や、患者の病状により主治医の指示どおりの処置を行う。
あとは夕食に出かけたり(ポケットベルを持たされる)医局や当直室で本を読んだりのんびりしたり。午後九時頃には準夜の看護婦(これまた数がぐっと減り、三四名)がおやつタイムをやるので顔を出せばお茶くらいは淹れてくれた。午前三時にも今度は深夜勤の看護婦がおやつタイムをやるのだが呆れたことがあった。未明に起こされ、さて何事かと白衣を羽織って詰所へ行けば「センセ、お茶の時間よ」だと。ただでさえ過労の身、それを未明に起こしてしかもカフェインを飲ませようとはイジメである。
手術室からかっぱらってきたオペ着がまことに具合良く、この格好で寝る。急に起こされても白衣を上から着るだけでよい。足は素足に草履。
手術室に二十四時間湯を張ってある浴室があり、これをよく利用した。手術前の手洗に使うブラシもあり、非常に固くゴシゴシ擦ると痛むのと背中に届かないのが欠点だが、着替えだけ持参すれば済むので非常に助かった。
平穏無事によく眠れることが稀にあるが平均的には「持続点滴が漏れた」だの「末期癌の露出部から出血が止まらない」だの「○○さんが亡くなりそう」だので一晩に数回起こされる。翌朝はいつもの採血に始まる病棟勤務がある。看護婦のように夜勤明けの休みなどはない。出勤時間が省けるからいつもより遅くまで寝ていられるのが利点であった。
何度やっても慣れることができず嫌だったのが死亡宣告である。
死期の近い患者を受け持つ主治医は最期に備えて当直でないのに病院に泊まり込む者、あるいは当番の日を交替して自分が当直する者、いよいよとなったら連絡をくれと当直医に電話番号を告げて帰る者、知らんぷりの者などさまざまである。
死期が迫れば主治医は親族に連絡する。大抵の親族は病院にやってきて病室に泊り込む。
死亡が夜間だといろいろたいへんである。死にそうで死ななかった場合おおぜい集まった親族は出直すことになり、死亡した場合は死後処置を行う。すなわち医師は点滴チューブその他を取り外し、気管切開が為されておればその部分を縫合、閉鎖、死亡診断書を書く。看護婦はいわゆる死化粧を施して霊安室へ搬送する。それら慌ただしい仕事を少ない人手で済ませねばならない。
人の死を初めて見る新人看護婦が独り、しかも丑三つ時に遺体処置をやっている最中に突然怖くなったのか、顔色を変えて詰所へ駆け戻ったことがあった。なだめて仕事に戻すのに一苦労。他にも入院患者がおおぜいいるのだ。
これは三年目、ちょうど麻酔科研修に出ている頃だったが、三時頃往診依頼を受けて内科病棟を訪れると結腸癌の口腔転移の由、口の中が全部癌、壊死を起こして腐った肉の塊である。ファイバースコープで観察すると声帯すら満足に見えず患者は呼吸困難に苦しんでいる。経鼻挿菅を行って引き返した。
二時間後また電話で起こされ、患者がチューブを引っこ抜いて苦しんでいるとのこと。よく聞けば経鼻挿菅ののち当然為されるはずのチューブの固定が省略されており、患者が抜去したのは挿菅直後だったという。すぐに連絡をくれるべきだったが内科の当直医が遠慮したのか、呼吸困難がいよいよ酷くなってから電話してきたのだ。もう遅い。「腐った肉」の中にチューブを乱暴に通過させそれをすぐ引っこ抜けばどうなるか。もはや腫れあがり血まみれの肉塊が見えるだけ。経鼻ファイバースコピーで声帯の位置すら見当がつかない。
どうしようか考えている間もなく心電図モニターが平坦になった。つまり心臓が止まった。心臓が止まる前に呼吸が止まっているはずだから蘇生させたところで長くはもたない。とにかくメスを要求し消毒のヒマもなく気管切開。呼吸、心臓が止まっているから出血もなく、オペは楽だった。酸素を送り、三十分ほど心臓マッサージを行ってなんとか蘇生したがやはり意識は戻らない。
ちょうど麻酔科を回っていた時期でもあり、手術室の看護婦に比べて内科病棟の看護婦はなんと動きが遅いのかと随分苛立った。チューブを固定しなかったのは麻酔科で「固定は看護婦の仕事」であると思い込んでいたためであり、内科の看護婦にチューブを固定せねばならないという知識が欠けているとはあとで知って驚いた。「メスを出せ」と言ってから受け取るまでにかなり時間がかかったし、優秀なのが揃っている手術室の看護婦達と比べては気の毒だろうが随分鈍い看護婦だった。
昼頃、食堂近くの廊下ですれ違った内科のドクターから「今朝はお手数をおかけして、、おかげで家族が到着するまで生かせることができました」と挨拶されたが全然嬉しくないよ。