N という中年オババ、いかにもヒステリックな算数担当教師から「定規の使い方が反対!」とノートを棒か定規かで叩かれた。見上げるとその教師は既によそへ向かってどんどん歩いている。『この低脳児、どうしようもないわね』と言わんばかり、顔を見るのも時間の無駄といった雰囲気である。
「親からも常々『このバカが』と言われるし、ああ、俺は本当にアホなんかなあ」
一方で理科担当の紳士然たる先生からは随分かわいがられたものだ。あとで親から聞いたことだがこの先生『奥さん、この子は賢いですよ』といつも僕を褒めていたらしい。もともと理科が好きで鉱物の比重とか惑星の大きさ、距離等々習いもしないことを図鑑で調べ、ノートを作って暗記するのが趣味だったのだ。
高学年になり、当時の進学熱がどの程度のものであったかいまや知るすべもないが、人並みに塾へ通い始めるとよほどの阿呆でない限り当然勉強ができるようになる。「ボクハテイノウデハナカッタノダ」六年生の頃には算数の授業を聞いて理解できぬことはもはや皆無だった。すると例のヒステリー教師、手のひらを返したように僕のことを褒め始めた。六年生といえば既に相当難しいことをこなせるようになっているから授業を聞く時間がもったいない。思い上がったわけではないが通学に時間を取られる身、やむなく受験勉強の予習・復習をやっていた。隣の席の親友 M 君が僕と同じようなことをしていて「M 君、あんた試験もろくにできないくせに隣のマネなんかするんじゃない!」と教壇から罵声が飛んだときは僕が怒鳴られたような衝撃を受けたものだ。M 君には悪いことをした。
六年生の一学期、周囲の勧めもあって歩いて通える公立小学校へ転校することになったのだが、せっかくあと一年で卒業できるのにと母一人が猛反対。さらには私学の小学校からも「是非卒業まで当校に」と、これも聞いた話なのではっきりしないが公立小学校には始業式の日に登校し、自己紹介をしただけで翌日からはまた元の私学へ舞い戻ることになった。随分非常識な振舞いであったに違いない。
ところが夏休み中に同じ話が出て、通学に往復二時間かけているのでは中学校への合格はおぼつかないと脅された母親がとうとう諦めた。再び舞い戻った公立小学校の担任は中年オババ。嫌な予感は的中した。「君、一学期に一日だけ来てすぐやめたそうね。なんで今頃またきたの。頭おかしいんじゃない?」気ちがい扱いである。
一週間も経たないうちに僕がよく勉強できることが知られ、これまた予感どおり、中年オババ H 先生の態度ががらりと変わった。
あんたらは勉強ができる生徒だけが可愛いのか!ギンヤンマ取りの名人でも、パチンコで雀を狙えば百発百中の特殊技術を持つ子供でも勉強しないやつはどうでもいいのか!
話変わって現在職場近くの小学校・校医として春と秋に耳鼻科健診をやっている。自覚症状を言わない子供達を診察してもよほど悪化していなければ分るものではない。しかも近頃は公害病であるアレルギー性鼻炎が激増し、鼻粘膜を診るとわかるのだが独特の蒼白を呈している。そこで書記をやっている担任の先生に尋ねる。「この子、よく鼻をかんだりくしゃみをしますか?」授業を聞くに差し支えるようなら病名をつける(つまり受診を勧める)算段だがまともに答えられる教師はまずいない。特に女性教師。
生徒のことを一番よく知っているのは保健の先生である。いやはや全生徒の名前を覚えているのだ。
これを読んで耳が痛いと感じる先生はまだ見込みがありますのでせいぜい精進して下さい。