全身麻酔薬自体が肝臓や腎臓に負担をかけるしショックを起こす可能性もあり、もともと弱っている人間なら麻酔ガスを吸った途端死ぬかもしれないほどの劇薬。事実、麻酔科つまり手術室に常備された薬の多くには「劇」とか「毒」のマークがついている。そこで担当の麻酔科医が手術前日の夕方に患者を診察をし、カルテを見て手術に耐えうるかどうか判断する。慢性の肝腎疾患や糖尿病、高血圧症を抱えてたりすれば全身麻酔に対しては弱いつまり危ないわけでこれをハイリスクと呼びあまりに高い場合上の者と相談することになる。
手術を受けるのは誰でも怖い。そのあたりは医師も心得ているから前日に経口睡眠薬、当日も睡眠薬の仲間である抗不安薬を注射する。麻薬などを注射する場合もあって手術室に入ってきた患者妙にうきうきしてたりすると「あ、この人モルヒネかな?羨ましいなあ」などと思ってしまう。
教授が「学生に挿菅をやらせてみよう」と言いだし、くじ引きだったかどうだったか僕が当たってしまった。「挿菅だけでいいのだな。間違いあるまいな」と人形相手にマッキントッシュ(オーディオアンプ、パソコンの類とは無関係)の喉頭鏡で何度も練習した。担当麻酔医の診察にも付いていった。
さて、当日になって「さあ、導入から始めようか」と言われびっくり仰天、僕は挿菅の練習しかしていないぞ。手術台に横たわっている患者にマスクをあて、酸素と麻酔薬の混合ガスを流す。麻酔が効いてくると舌根が落ち、聴診器からゴロゴロという雑音が聞える。この雑音はガスが肺までうまく流れていないことを意味する。放っておけば患者は死ぬから患者の下顎を持ち上げつつマスクを抑えている左手に力を込めねばならない。
「呼吸音は?」
「はあ、先ほどからゴロゴロ鳴り出しました」
「アホか。なにをのんびりしとる。しっかり気道確保やらんか!」
頭を叩かれた。
いよいよ麻酔が効いてくると全身の筋肉が弛緩し呼吸が弱まり、止まる。
呼吸が止まれば死ぬからガスを流すホースには途中にゴム風船みたいな袋がついていてこいつを右手でぐっと一握りして強制的にガスを送る。気道が確保できていないとガスは肺へは行かず、食道へ流れて満腹になる。これも胸に張り付けた聴診器の雑音から判断できる。
ある程度時間が経ち挿菅できると判断すれば一旦麻酔ガスを止め、純酸素のみを多い目に流したのちマスクを外し、手順に従って喉頭鏡を入れ声帯を確認して気管内へチューブを入れる。この時が一番緊張するのだ。挿菅に手間取れば酸素不足になるので一旦マスクと純酸素に戻してやり直し。
おお、無事に入った。僕の実習はここまでとばかり担当医に場所を譲ろうとしたら
「こら、チューブだけ放り込んで場所を離れるやつがあるか。患者を殺す気か」
また叩かれた。どうやら実習は挿菅だけではなく全部だったようだ。うーむ、どこで聞き違えたのか、、、