No.033 <北ア>奥穂高岳・北穂高岳


1993.08.11.Wed.晴れのち曇り

家族旅行から帰宅してシャワーを浴び、パソ通で最終の山岳情報を入手して出発。

2015 西宮発の JR で大阪駅へ。八角弁当 1100 円也を買ってホテル阪神へ。大阪駅もここも登山客でごった返している。
バス発車後耳栓とアイマスクを装着してすぐに寝てしまう。


1993.08.12.Thu.快晴

0430 起床 バスは奈川渡ダム付近を走行中。

0530 上高地着 弁当を食べる。ウールカッターのみでやや寒い程度。

0600 上高地(1500m)発 長い長い平地をひたすら歩く。20 キロが肩に食い込む。(不要物品が多すぎた)

0645 明神(1520m) 通過

0732 徳沢着(1550m) 一休み
0735 発

0828 横尾(1605m) ミックスキャロット 500ml 終わり。
0850 発 カッターを脱ぎ、タオルを出す。山道らしくなってきたが傾斜はまだ緩い。

0950 本谷橋(1765m) 休憩している人が多い。ここの流れはキャンプ場からの汚水であり飲用不可だが顔なら洗える。
1005 発 次第に急登となり、正面に北穂が見えてくる。登山客には子供も多い。

1120 (2055m) 涸沢ヒュッテとテント群が見えてくる。
1130 (2125m) そろそろバテてきた。水 500ml 消費。残り 500ml。
1204 (2220m) 雪渓上を歩く。

1215 涸沢ヒュッテ(2300m)着

テント場の受付は 14 時からで、待っているわけにはいかないのでさっさとテントを張る。300 円のコーラを飲んで自宅に電話を入れる。コーラは生暖かい。雪を混ぜれば良かった。

右拇趾球に 3 センチ径の靴ずれ。右膝に筋肉痛著明。明日はトカゲか。

天気がよく、陽が射していると暑くてテント内に入れない。しかし陰ると寒い。気圧計は 776mb を示している。ラジオは短波以外入感せず、テレビの音声が聴こえない。

夕飯は出前一丁にフリーズドライほうれん草。牛肉缶詰。

18 時、ヒュッテの有料トイレで用をすませて寝る。外はまだうるさいので耳栓を使用する。

今夜はペルセウス流星群の極大日だが明日のハイキングも大事なのでやむを得ず諦めた。まだ薄明の残る東北の空をしばらく見ていると 0 等級位のオレンジ色の火球が分裂しつつ飛んだ。これだけでも収穫。

歩行時間 0535
休憩時間 0040
合計時間 0615


1993.08.13.Fri.晴れ

4 時起床。周りがなんとなくざわつき始めるのですぐに目が覚めた。

朝食は餅 2 個、フリーズドライほうれん草入り塩ラーメンとコンビーフ。紅茶を 750ml 沸かし、500ml をテルモスに詰めてあとはその場で飲む。砂糖をしこたま入れておく。右足裏のマメをナイフで切り、滲出液を押し出してバンドエイド 2 枚で覆う。

0530 涸沢(2300m)発 涸沢小屋経由でザイテングラート取り付きへ向かう。

0620 ザイテングラート取付き(2645m) ここまででも結構きつい。一休み。
0630 発 早くも渋滞ができかけていて、息が切れそうになる頃停滞するので丁度良い。

白出のコル直下の雪渓で、私の直前に前方に向かって仕切っているおっさんがいる。ツアーリーダーらしい。「あまり鎖を引っ張ると反動で跳ね飛ばされて死にますよ」などと、、、

0720 穂高岳山荘(2950m) 涸沢ヒュッテより数段立派な山荘である。気圧計は 702mb。
0730 発 奥穂へ向かう。道は良く、5 歳位の子供も元気に歩いている。

0810 奥穂高岳(3190m) 天気がよく展望抜群。8 x 30 双眼鏡が威力を発揮する。伊吹山(多分)がマメのような形に見えている。その左向こうに比良山系と思われる影も見える。(右向こうに見えるはずであった)ジャンダルムのてっぺんに大勢立っている。あんなところに登っていいのか!危ないではないか。そのジャンダルムに向かってナップザックの中年女性が歩いている。20 年前に登った西穂高岳山頂にも大勢の人がいる。西穂独標にはさらに大勢の人がいる。

コープの小魚せんべいを食べる。

0840 発 梯子場でかなり渋滞する。

0920 穂高岳山荘(2990m) 自宅に電話。ここの電話はテレカが使える。涸沢ヒュッテみたいに「通話はさっさと済ませるように」などと言われることもないし混線もない。小用。
0935 発 時間も早いし日和もいいし、元気もあったので北穂まで縦走することに決める。

1005 涸沢岳(3110m) ここがあの涸沢槍のてっぺんであろうか?それにしては広い山頂である。(違うらしい)
1015 発 いきなりの急降下。鎖があったり三点支持を守らねば降りられないオソロシ的岩稜下りである。下の方で夫婦喧嘩らしき声。「あーたっ!なんでこんな所に連れてきたのよ!」

1040 3030m 鞍部 一休み。
1050 発 相変わらずの狭い岩稜歩きで特に西側は岩が脆い。対向者と擦れ違うときにやや谷側に寄りすぎてしまい、不用意に踏んだ 50 センチくらいの岩の塊を落としてしまった。凄まじい音が長い間聴こえていた。近所にいた数名と一緒に大声で下に向かって「落石!」と怒鳴る。もし下にクライマーがいたらと、心臓が停まる思いであった。幸いクライマーはいなかったようでほっとしたがしばらくは前進出来なかった。なお梯子、鎖場を下って行く。

1115 涸沢のコル(2975m) 雪渓の最上部で一休み。冷たい水が飲みたくて雪を取りに稜線から僅か下る際にさっきのショックかあるいは疲れが出たのか少し足を滑らせた。下はかなりの急斜面だった。また冷汗をかく。
1125 発 ここからは徐々に登り返して行くが狭い岩稜は相変わらずのオソロシ縦走路である。心休まる間がない。

1210 3045m 地点 かなり疲れたのでコープの小魚せんべいの残りをゆっくり食べて休憩する。
1235 発 そろそろ厳しい道も終わりだろうと自己を励ましながらの最後の頑張りをブチ壊すような擦れ違う人の「まだまだ恐いですよ、気をつけて」という無情の言葉。うんざりしつつ這うように歩く。霧雨が降り出す。このあたり滝谷を登るクライマーに出会うようになる。落石のショックが抜けず、彼らがキレた人間に思えてならない。

1310 北穂高岳北稜(3105m) 槍がずいぶん近く見える。キレットを双眼鏡で探すがよくわからない。

雨が強くなってきたのでカッパ上下を着てザックカバーも出す。間もなく止んだためカッパ下を脱ぐ。ほとんど動く気がせず山頂でボーっと過ごす。その間にもガスは引いて行き、展望がよくなった。

1410 ようやく重い腰を上げる。カッパ上とカッターも脱ぎ、急降下に備える。

南稜から鎖のかかった嫌な道を下る。歩行速度は相当落ちている。疲労のため途中何度も座り込んでこのまま寝てしまいたいような気にすらなる。どんどん抜かれつつもゆっくり下る。いつまでも近付いてこないテント場が恨めしい(情けない)。それにしてもこの道はひどい。岩ばかりで標高差 800m のうちのんびり歩ける土の道がほとんど無い。

1650 涸沢小屋(2350m) コースタイム 0150 のところをなんと 0240 かかってしまった。元々体力が不足している上にろくな行動食を採らなかったためシャリバテを起こしたのだろう。

自宅に電話。涸沢岳のバッジとコーラを買い、ポリタンを満タンにしてテントに戻る。ザックを放り出して便所へ。小用を足したついでに残雪を掘り返して持ち帰る。氷コーラは美味かった。

夕飯は餅 2 個、フリーズドライほうれん草入りシーフードヌードルとコーヒー。

歩行時間 0840
休憩時間 0240
合計時間 1120


1993.08.14.Sat.雨

昨夜半前から雨が振り出して雨音で目が覚めてしばらく眠れなかった。

0330 に合わせた起床ベルが聴こえず、起きたのは 0412。慌ててパッキングを始め、ザックにカバーを被せて外に出し、風雨の中フライを外してペグを抜いた途端テントが風に飛ばされてしまった。たまたま風下にいた方が捕まえてくれて助かった。

朝食は非常食の板チョコをバリボリベリと食べただけで大急ぎで出発する。山岳警備員(?)の人が「今からどちらまで?」と話しかけてくる。この天気で 3000m の稜線へ単独行というのは無謀に違いない。

0530 涸沢ヒュッテ(2300m)発 ヒュッテ直下の雪渓が凍っており、先行者が滑りこけたのを見て階段を外し雪渓上を歩く。昨日の疲労が取れておらず急な下りは足が進まない。道は至るところ渓流と化している。渡渉せねばならないところでは流れが増していて靴の中まで水が入ってくる。

0636 本谷橋(1800m) 一休み 横尾本谷は濁流が渦巻いている。このあとは大した下りもなくほっとする。
0750 横尾(1635m) さて、ここからは面白くもない平地が延々と続く。

0850 徳沢(1570m)

0935 明神(1535m) きれいなトイレがあって水洗でしかもペーパーまである!感動してしばらく滞在する。昨日は便秘だったのでしばらく時間を潰すことになった。
1015 発

1100 上高地ビジターセンター(1510m) 建物のテラスでコンロを取りだし残ったシーフードヌードル 2 個とコーヒーをかたづける。余裕が出たので展示を眺める。

歩行時間 0450
休憩時間 0040
合計時間 0530

バスの発車時刻が近付いたので着替えようとすると、なんとザックの底に詰めてあったシャツ、セーター、靴下がびしょ濡れである。ザックカバーの上下が逆だったのだ。水抜きの穴がわかりにくかったせいである。ウェストポーチの中もびしょ濡れ。

1230 靴や服がびしょびしょのままバスに乗る。エアコンが効いていたので風邪をひかないか心配。

渋滞の中、バスは 2 時間 20 分遅れで JR 大阪駅北口に着いた。やれやれ。後の参考になる失敗盛りだくさんの北アルプスであった。

1. 2 人用テントは大きすぎる(1 人用に変更)。多すぎる荷物を収めるザック(72l)も大きすぎた(45l に変更)。
2. コンロ用ガスの予備は不要。250g 1 個で充分。
3. マメライトがあればガスランタンなども不要。
4. コピーが面倒で丸ごと持って来たガイドブックは重い。ポピュラーな槍穂ではガイドブックは不要。
5. ザックカバーは役に立たない(ザック内にハイパロン防水袋を入れることにした)
6. 3 年後、北穂高岳から奥穂高岳へ向かったときには同じルートなのに恐怖感を憶えなかった。槍ヶ岳からの縦走でキレットを通過した後だったし、その前の月には西穂高岳から奥穂高岳を歩いたためでもあろう、また岩登りもその後経験している。要は慣れか。


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