21 時 30 分梅田阪神ホテル前。いつもの上高地行き夜行バス。先月足の裏にマメを作ったのに懲りていつもの運動靴から山靴に替えたのでそれで足が痛く夜中に何度も目覚めて困る。脱げばよく眠れた。
0520 上高地バスターミナル着(1510m) お握り 3 つとお茶で朝食。
0540 発 通い慣れた道を行く。とはいえここを北へ向かうのは 3 年ぶり。
0625 明神(1520m) 全然人に会わない。
0705 徳沢(1550m) 陽が照ってきた。テントをひっくり返して乾燥させている人あり。湯気が上がっている。
0755 横尾(1615m) ここから槍沢方面へ向かうのは今回が初めてである。
0805 発 山道らしくなってきた。道はかなりぬかるんでいる。
0840 槍見河原(1680m) 看板の写真を撮りはっと気づく。槍ヶ岳が見えるのか?探せば穂先がちょこっと前衛の山の向こうに頭を出していた。
0850 常念岳への沢ルート分岐(1705m) 沢は全面通行止めだそうである。お握り 1 つとゼリードリンクでひと休み。
0900 発 道が次第に傾斜を増す。出会った高齢者ハイカーから情報を得る。昨日の入山者がとても多く槍沢ロッジは超満員。今朝はロッジから 300 - 400 人くらいが槍を目指して登って行ったとのこと。ということは今夜は槍岳山荘が超満員か。
0930 槍沢ロッジ(1820m) 暑いのでカッターを脱ぐ。この先強烈な日射しに背中をあぶられることになる。このロッジはあまり大きくなさそうだが風呂があったには驚いた。槍沢の豊富な水のおかげだろう。
0940 発 岩のゴロゴロしているところを歩く。高山植物は枯葉が目立つがまだまだ健在である。足元には小さくて太め、色の濃いバッタが跳ねている。跳躍はするが飛行はしないようである。
1010 テン場 左手には槍沢の流れが豊富だが上には小屋があるので飲み水には枝流を探さねばならんだろう。ところで槍ヶ岳が全然見えてこない。正面の山は何かなと思ってマップで調べればおお、あれが東鎌尾根か!
1040 大曲(2075m) ここを右折すれば水俣乗越から東鎌尾根に出るが今回は槍沢を詰めるとしよう。お握り 1 個。ゼリードリンク 1 個終了。
1050 発 単調な登りが続く。ぼちぼち疲れてきてペースダウン。上高地からこちらへ向かった人は少ないようだったがどんどん抜かれていく。槍沢ロッジ発の連中だろうか?槍沢は素晴らしく、昼寝している人もいる。
1130(2290m) ひと休み。まだ槍が見えない。
1135 発 かなり苦痛になってきた。この時刻、涸沢までなら既に到着しているはず。背中は暑いし T シャツのみなので首筋が焼ける。日焼け対策をまた忘れていた。
1215(2115m) ひと休み。休憩回数が増えていく。
1225 発 ゼイゼイいいつつ登り続ける。景色はいいんだがこの単調は苦痛である。
1240(2585m)ようやく槍の穂先が見えた。肩の小屋や殺生小屋も見える。ヒュッテ大槍は最後まで見えず。周囲では皆一様に感嘆の声を挙げている。フィルム消費量が途端に増え始める。
1300 坊主小屋下(2640m) なんちゅう地名かと思ったら上に岩小屋があって槍ヶ岳の開祖・播隆上人が修業した場所だそうな。お握り 1 つ。
1310 発 頭上に見える小屋を目指し数十メートル進んでは立ち止まる。そろそろ体力の限界か?
1350 殺生小屋(2825m) ふうやっと着いた。宿泊の受付を済ませ(7800円)早速缶ジュース 1 本。槍沢ロッジから上がってきたというグループとしばらく話す。明日の朝食が 0530 と遅いことから、ガスがかかってはいるが穂先ピストンを今日中に済ませておくことにする。
1420 発 カメラだけ持って小屋から真北に登れば程なく東鎌尾根に立てる。名前の通り梯子がかかっていたりして鋭い稜線である。西へ進むと槍沢からの道と合流して槍岳山荘に着く。
1505 槍岳山荘(3060m)ここから穂先を見上げると上り下りの人でごった返している。奥穂高岳の比ではない。やはり北アルプス人気段突はここか?とにかく穂先を目指す。どうも猫・杓子の類が多いらしく梯子に差しかかって「キャー、はしごぉ?ウッソー」(-_-;) 道はところどころ 2 列になっていて登りと下りを分けているようである。別段ルートを多少はずしても問題はなさそう。だが傾斜が急で下りは要注意である。
1530 槍ヶ岳(3180m) 感動は大きかった。頂上はさほど広くない割に人が多いので移動に注意を要する。空跳ぶ絨毯に乗っているような気分である。どこを覗き込んでも怖い。一番奥にある賽銭箱の中に芳村さん宛のメッセージを入れておく。
つい馴染みの穂高へ目が向く。
1545 下山開始
1605 槍岳山荘(3060m) 350cc のウーロン茶を飲む。ザックなど沢山並んでいて混雑ぶりが伺える。
1620 発 槍沢の道を下る。殺生のテン場を通過して小屋へ。
1640 殺生小屋(2845m)
歩行時間 0855
休憩時間 0205
合計時間 1100
著名な小屋を避ければ良いと言われるとおりで布団 1 枚を確保できた。2 段ベッドになっている。水は極端に少ないらしく 1 リットル 200 円。宿泊客に限りちょっと 1 杯飲む程度は無料だそうだがかなり不自由ではある。夕食は 1730。美味かった。ご飯とみそ汁をお代わりし夜間の口渇に備えてお茶を多めに飲んでおく。
明日の行動食にする予定のα米にもあらかじめ水を入れておく。ゼリードリンクが 2 つあるので水は残り 1 リッターばかりだが補充せず。
夕食を終えて寝る用意をして布団へ行き隣のハイカーと話す。明日は奥穂高岳までとのこと。こちらは体力に自信がないので明日どこまで行けるか判らない。しかし人の予定を聞くとよし、俺も行くかと思うから不思議である。
1900 前の天気予報を聞き晴天を確信して寝る。地方ニュースによると本日前穂高岳で滑落死亡事故があったとのこと。15 メートル転落し眼を打ったそうな。多分紀美子平を通らず稜線を歩いていての事故だろうと勝手に想像する。10 時間たっぷり眠った。
0500 起床
0530 朝食 ご飯とみそ汁お代わり。これが 1 日の行動に好都合なのである。
0600 発 昨夕降りてきた道を登る。毎度のことだが歩きはじめの 30 分はきつい。
0635 槍岳山荘(3060m) 通過して南へ。結構広いテン場を通過して急な下り。
0645 日本最高所の峠・飛騨乗越(3020m) また登って大喰岳へ。
0705 大喰岳(3101m)左手でカメラを持って自分の写真を撮る。「作者」の目次ページに使った写真
0735 中岳(3084m) ひと休み。富士山が昨日より山麓近くまで見えている。
0740 発 ここから左手へ下る。下った先には稜線の道筋がよく見える。しかし下り坂にはペンキマークも何もない。ガスが出たときには困るだろう。
0800 (2945m) ひと休み。
0805 発 このあたりが今回の縦走路の中で最も平和な箇所だったろうか。広い緩やかな尾根を辿る。
0825 左手天狗原への分岐。下を見ると紅葉の始まっているところがちらほらと。天狗原は良い所と聞いているので一度ゆっくりしてみたいものである。
0845 南岳(3033m) 真下に南岳小屋が見える。右手に下れば槍平。
0855 発
0900 南岳小屋(2980m) 通過。ここから先これまでの平坦な縦走路と打って変わっていきなりの急降下・岩下り。 結構怖いところである。登ってくる人が皆「あとどれくらいですか?」「これ、南岳ですか?」などとくたびれ切った様子で尋ねてくる。
下り切って稜線をしばらく行き振り返れば南岳は切り立った巨岩峰であった。
1000 (2765m)ひと休み。 α米を食べる。山菜おこわはノドを通りにくく行動食には向いていない。水残り 500cc。追いついてきた夫婦連れテント泊の人が同じ場所で昼食。ラーメンを煮始めた。今日は南岳テン場発だそうな。
ここである中年パーティに抜かれる。そのパーティは少し前方で休憩を始めた。この人達とは後に即席パーティをなすことになる。
1020 発 岩稜が次第に狭くなってくる。
1025 最低コル(大キレット) 南岳南壁と北穂高岳北壁は切れ落ちていてその間は狭い岩稜が続いている。これ全体を大キレットと呼ぶことが初めて分かった。狭い箇所がクレバスのように切れ落ちているわけではなかった。
1050 長谷川ピーク(2841m) 狭いナイフリッジが続き結構恐ろしいが奥穂高岳のウマノセと違うところは傾斜があまりないこと。
1110 A 沢のコル(2800m)ここから北穂高岳まで 300m の高度差を一気に登ることになる。北穂高岳小屋のテラスはもう見えない。ソーセージなどを食べ、日陰になるのでカッターを着て備える。陽に当たると暑いが陰ると寒い。
1125 発 岩登りの開始。かなり急峻でここを下るのはかなり怖い気がする。途中のトラバースに凄く太い鎖が張ってある場所があり多分ここが「飛騨泣き」なのだろう。高度感が凄い。
1225 (2985m) ひと休み。半分は過ぎたろうか。こういう極端な傾斜も高度がすぐに稼げて結構だが程度というものがある。
1230 発 わしわしと登り続ける。ふと上を見て北穂高小屋のテラスが手の届きそうに思えたときは嬉しかった。
1250 北穂高岳(3106m) テラスに座り込んでコーラとかレモンジュースなど水気ばかり摂る。いわひばりが飛び回る。ここの掃除屋らしい。さっきの 50 年配・おっちゃん 1 人(リーダー)おばちゃん 3 人パーティと一緒になり山の話。皆達者である。関西の人達で比良など歩き回っているとのことなのでどこかで会っているかもしれない。近江高島から和迩までたったの 9 時間!には参った。普通 12 - 15 時間はかかるのだ。今日は穂高岳山荘まで、明日は西穂高岳へ行くという。こういう話を聞くと自分も行かねばという気になってしまう。ガスに見え隠れし始めた槍ヶ岳を背中に出発する。
1330 発 縦走路へ。ここからは格段に楽になった。手を使わずに歩ける道が多い。3 年前にシャリバテを起したところ。歳は確実に食ってるがあの頃より元気である。最低コル付近は随分崩壊が進んでいる。
1425 (2980m) ひと休み。眼下の涸沢テント村には 10 数張り。淋しいなあ。穂高岳山荘も空いていることだろう。
1430 発 涸沢岳の少し北にちょっとした急登があって鎖などかかっている。北穂北壁に比べたら楽だがガイドブックには悪場と紹介されている。ここが涸沢槍ではなかろうか?ここから涸沢ヒュッテは 135 度の方位角に見える。逆に涸沢ヒュッテから 315 度の角度に見えれば間違いないことになる(偏差考慮せず)。悪場を通過して本日の登りはこれで終了。
1530 涸沢岳(3100m) 頂上は平坦ではなく尻が痛くて休み辛い。
1540 発 楽な下り。小屋は眼下に近い。
1555 穂高岳山荘(2995m)
歩行時間 0800
休憩時間 0155
合計時間 0955
受付を済ませ(8200円)宿泊客には水(雪渓を解かしたもの)が無料なので 2 リッターポリタンを満タンにしておく。表へ出てコンロを取り出しレモンジュースとコーンスープを作る。少量の熱湯で溶かし冷たい水を混ぜてアイスとする。やがて例のパーティが降りてきた。お疲れ!北穂高小屋のビールで目が回って遅くなったとのこと (笑)。
部屋へ入って靴下を脱ぎマメが無いことを確認。やはり靴の威力か。足の痛い部分に絆創膏をペタペタ貼り付ける。夕食はまたしても 1730。ご飯、みそ汁お代わり。今日は何故か寝つけず明日が心配。
0450 起床
朝食は0530。ご飯、みそ汁をお代わりして出発。
0550 発 例のパーティは西穂高岳へ向けて既に出発したあとである。前穂経由を考えていたんだがのせられたと言うか精神的に引っ張られたのか私も西穂高岳へ向かうことにした。
0625 奥穂高岳(3190m) 先月見つけられなかったテラさんのお土産プレートを探すがやはり見つからない。多分一番大きいケルンだろうと思って探すが目印の文字が見つからない。今日もハードコースなのであっさり諦めて出発する。
0630 発 ジャンダルムへ。ナイフリッジは 3 段になっていてウマノセとはどれを指すのか全体のことなのか判らないが一番怖いのは最下部であった。
0645 ウマノセを終えて休める平坦な場所があるがここからのジャンダルム、ロバの耳はすばらしい眺めである。曇っているのが残念。ロバの耳のコルまで急降下。
0700 コル(3105m) 例のパーティがジャンダルムの巻道上高地側からこちらに向かって手を振っている。ジャンダルムに登れと叫んでいるようだ。ここから鎖場を急登し先月ビビッた飛騨側の巻道を行くが不思議と恐怖感がない。
0725 ジャンダルムを巻く。ここは案外怖い。急いでいるしガスが出ているしで今日は頂上を踏まずまっすぐコブ尾根の頭に向かう。ジャンダルム(3163m)は奥穂高岳からは鋭いピークに見えるが、西穂高岳側からは饅頭のようである。
0735 コブ尾根の頭(3130m) ちょっと休憩。ここから高度差 300 メートルの急降下である。
0740 発 格別危険箇所も無くどんどん降りていく。ルンゼ状の鎖場では鎖を両手に持ちポンポン跳ね降りた。ここではもし落ちてもすぐに止まるから安心。
0825 天狗のコル 先月は無力に通過しただけだが今日は岳沢側を覗いてみた。かなりの急傾斜だが踏み跡が結構ある。すぐ前を歩いていた人が「ここはまだ歩いたことが無いので」と言って下って行った。 下り方向左手に石で組んだ立派な塀があって大型テント一張りくらいはいけそうで強風にも耐えられそうである。天狗岳から降りてくる人があった。こんなに早い時刻にと驚いたが西穂山荘を 03 時半に出たとのことで納得。
0830 発 崩落した最下部取付き部分はなかなか難しく右からなんとか攀登った。ロープを用意しておくに越したことは無い。崖をひと登りであとは普通の道をゆっくり登る。
0855 天狗岳(2905m) 一番気持ちのいいピークだがあいにくガスで視界がない。どこかで追い越してしまった例のパーティが間もなく到着した。パーティのおばちゃん 1 人が岩に弱く鎖場などで時間を食うらしい。
0910 発 スラブが現れてくる。さほどの急傾斜でもなく危険はない。
0925 間天のコル(2835m) ここから見る間ノ岳はタワーのように見える。あのてっぺんを通過せねばならないのだ。天狗のコルから西穂高岳までは大したアップダウンも無く概ね下り方向なので先月より随分楽である。それに 2 度目のルートは概して楽に感じるそうである。
0945 間ノ岳(2910m) ここの頂上は平坦な場所が無くゆっくりできない。それに標識が無いので間ノ岳と気づかず通過する人も結構多いようである。このあたりから浮き石が多くなりガレた痩せ尾根を行く。
1020 赤岩岳(2890m) ここも標識が無いのではっきりしない。マップにも載っていたり無かったり。通過して 2880m 付近に鎖場が 2 箇所(1030)。その後の上高地側トラバース(先月はさほどと思わなかったが今日は何故か怖い)に黄色いザイルが張られていた。先月これはなかった。そしてまもなく右折垂直の登り鎖場。鎖が 2 本。鎖の垂れ下がる方向は西穂高沢。雪渓は消失している。先月の事故現場 はここだったのだ。涸沢ヒュッテで目撃者から聞いた話から考えると鎖からそのまま下に落ちたか鎖を下り終えて上高地側をトラバースする途中で落ちたかどちらかだろう。合掌。
ここを登りきると西穂高岳より僅か低いピーク(1055)。ここから小さな吊尾根を行くとすぐ西穂高岳である。
1100 西穂高岳(2909m) エライ早うに着いたなあ。寒いし風は強いしガスは濃くなるしまずはカッパ上下を着る。人気のあるこのピークも今日は誰もいない。すれ違ったハイカーも数名のみ。2 時間ほど休憩無しで来たので水を飲んだりチョコレートを食べたりしてゆっくり過ごす。携行食のうち食べやすかったのは冷蔵不要のおつまみタイプソーセージとピーナツチョコであった。ビスケットの類には手を出す気にならなかった。昨日のα山菜おこわも少し残っているが腐っているかもしれないので食べず。山荘で朝飯をしっかり食べていると行動中はあまり腹が減らないものだ。例のパーティが到着してまたバンザイをやっている。まだまだ油断はなりませんよ。
1130 発 相変わらず厳しい岩稜を行く。みぞれが降り始め間もなく止んだが独標の下から本降りになった。
1205 ピラミッドピーク
1225 独標(2700m) アベック観光客がいた。雨も降り始めたしさっさと降りた方がいいよ。
1230 発 ここを越えるともうピークは無い。ガラガラの石ころを踏みながら下っていく。先月見つけた黒大理石の慰霊碑は見つからなかった。地面に土が現れ両側にハイマツが迫ってくるとホッとする。山荘は近い。カラスが飛ぶ。
1315 西穂山荘(2385m) 穂高岳山荘からここまで 0725 かかった。先月が 0915 だったから 2 時間も早い。今回は下り一方だったのとテントが無く荷が軽かったためと思われる。
やがて例のパーティが降りてきた。カッパを着ておらず濡れ鼠状態である。ともあれお疲れさまでした。一緒に売店の棟に入りラーメンなど食べる。彼らは上高地から自家用車デポ地までバスとのこと。こちらは予定通り新穂高温泉へ下るつもり。また会いましょう。それにしても途中で擦れ違った連中今頃は奥穂高岳近辺の危険箇所だろう。気になる。
1355 発 初めての道だが標識を頼りに下り始める。ゴロゴロした岩が多い。新穂高へ歩いて下る道とロープウェイ駅への分岐標識を見つけて安心する。ところがしばらく行くと「→千石園」などという標識が出ていたりして分岐を見落としていないか不安になる。結局大丈夫だったわけだが紛らわしいことこの上ない。
1445 ロープウェイ上駅(2150m) 観光客が僅かだがいる。この天気ではなあ。お気の毒に。
歩行時間 0710
休憩時間 0145
合計時間 0855
切符を買い(1800 円)カッパを脱ぎ傘を取り出す。ズボンの裾がびしょびしょである。スパッツが無かったからかカッパの寿命か。
1500 ロープウェイを 2 つ乗り継いで一番下まで 25 分間。
1525 新穂高温泉 土産物売場の人にバス乗場を訪ねると車道を 200 メートルばかり下れとのこと。バスの時刻は 1530 である。急ぎ気味にバス停へ。運賃は降りるときに支払うことになっている。乗客はほとんどおらず一番後の席を 3 つばかり占拠して靴を脱ぎ横になったりする。
1705 高山駅 特急北アルプスというのがあったので切符を買うと名鉄乗り入れ列車だそうで新幹線接続割引きが無い。1200 円ばかり損した。乗車券 5940 円、特急券 2400 円、新幹線 2370 円。
2007 新名古屋駅着 改札を出てビジネス街を通過し名古屋駅へ。日焼けで顔が熱く体も熱いのでカッターを脱いで汚い T シャツ姿なのでさぞかし目立つことだろう。
2023 新大阪行きひかり 案外混雑している。腹が減ったので車内で弁当。
2123 新大阪着 地下鉄、バスを乗り継いで帰宅する。バスでは 1 番前の席に座るとドライバーが山好きらしく「どちらの山でっか?」と聞くので山の話でしばらく盛り上がった。来年定年なので好き放題山へ行くぞとのことであった。