No. 136 本年の山行・<大峰>大普賢岳


2000.12.24.Sun.曇りのち晴れ

0230 起床 一時間も早く目が覚め、眠れないのでそのまま起き出す。新聞もまだ来ておらず、手持ちぶさたにカレーライスとコーヒー二杯で時間を潰す。

踵に靴擦れ防止のテーピング、道具を揃えて車へ。

あまりにもブランクが長く、準備も慌ただしくて難儀した。ザックの中身は非常用にいつも入れているツェルト、シュラフカバー、コンロ、ボンベ、医薬品と黄色いカッパ。これは数回しか使っていないが春の槍ヶ岳を尻セードしたせいではや裂けている。上は無事。

前日和佐又ヒュッテに問い合わせて雪が少ないことを聞いていたので軽アイゼンをお守り程度にもつべきところがアイゼンは十本爪しかない。ついでにと使うあてもないピッケルをもくくりつけた。スパッツはロングが見つからずやむなくショートを放り込んだがいずれも使い道はないだろう。

コンロはあっても水筒がないからいざというときにはペット飲料を温めるくらいにしか役立たない。薄手のウール手袋とオーバーミトンがないのは一番堪えた。予想どおり休憩中手が凍り付くことになる。

通い慣れた道なのでマップ、コンパスは不要だが、コンパスと一緒にロープに結んでいていつも頸にかけるを忘れたのはまずい。崖から落ちて脚でも折れば笛を吹いて助けが呼べるのだが。トランシーバーもどこへ行ったか分らない。頂上以外波が飛ばない地形だからまあ構わんか。

とにかく自分でも呆れるほどでたらめな装備である。

0420 自宅発(0.0km) 自宅近くで 500cc のペットボトル二本と帰りのためのリポビタン、ピーナツチョコ等非常食を買い込む。

吹田インターから近畿道に入り松原ジャンクションで西名阪へ。料金所を幾つか通過し(通行料・500円 + 400円 + 400円)福住インターを出て一般道へ。広域農道を利用、吐山、玉立、榛原などを経由し、R 370 から R 169 へ。

空は曇っていてようやく白み始めたばかり。早く出過ぎたか或いはちょうどいいタイミングか微妙なところ。

R 169 は随分広くなり杉の湯温泉の前を通過して新しいトンネル(これは一年前既にできている)をくぐる。柏木付近も随分様相が変り、六年前の面影はもはやない。

対面通行の信号を過ぎると間もなく長い直線の伯母峰トンネルに入る。ちょうどこのとき真後ろからくっついてくるのがいて嫌な感じ。トンネルを出てすぐ右折する部分に大きなアナボコがあるので注意が必要。後ろの車に急かされるようなかたちで急ぎ右折したためモロにアナボコに突入、底を擦ってしまったが今のところ故障の兆しはない。

ここ和佐又口バス停から和佐又へ登る道が昨年から新設され、積雪期にチェーンを忘れても大丈夫だが二時間余計に歩かねばならないのはきつそう。

0640 和佐又ヒュッテ着(140.7km) 空も明るくいいタイミングで到着した。

車から降り、身繕いの最中に猟犬がたくさん寄ってきた。うーん、こんなに人なつこかったかな?恐らくハイカーが食い物をやっているんだろう。

風が非常に強く、ヒュッテの寒暖計はマイナス 1 ℃と高いが体感温度が低いためカッターの上にカッパを着る。

ヒュッテの食堂には灯りこそ点いているが人影はない。泊まり客もないのだろう、既に朝食の時刻は過ぎている。

食堂に入って登山届けを書き、駐車料金 500円玉一個を乗せておく。今日入山したハイカーはまだいない。昨日の分を見ると僅か数名。変ったところでは昨朝起ち、弥山でテント泊、本日夕方戻るというのがあった。

0705 和佐又ヒュッテ発 ヒュッテから見て右側に階段があっていつもそこから上がるんだが今日は左手、大きなトチの木横から。下は枯れ草、急坂に足が滑る。足元に絡みつくようについてくる猟犬の右前足を踏んでしまった。「キャン」ありゃ、すまん。下は枯れ草だしダメージはなさそう。

いつものことながらエンジンが暖まるまでの 30 分間が辛い。息が切れるし脈も速い。

階段の急登は木枠横が随分掘り込まれている。皆歩きやすい方を選ぶのだろう。道幅が倍ほどにも広がっている。

和佐又山のコルから先は森に囲まれた緩やかな登りが続く。普段ぬかるみになっている場所には立派な霜柱。踏めばサクサクと心地よい。

やがて斜面が急になると間もなく最初の梯子が現れる。猟犬たち、さすがに梯子は登れまい。いつのまにか一匹もいなくなっている。おや、やけに黒っぽいなと思ったらどうやら掛け替えられたばかりの様子。登り切れば四つの普賢岳・西側の巻道に出る。巻道に面して岩が彫り込まれた部分を窟とよびここに修行中の山伏が籠る。一番大きくて水場があり、宗教的にも重要なのが笙の窟だそうだ。

0750 笙の窟 通過 ここを過ぎるとやや急な下りが僅かばかりあってその後は平坦な巻道が続く。ここいらも整備されたようで道幅が広く砂利を敷き詰めたような、人工的なものを感じる。さほど危険とも思えぬ場所に真新しい鎖が張ってあったりもする。

ようやく山らしい急登を行くと程なく日本岳(孫普賢岳)のコルに出る。左にルートを取ればすぐ石の鼻。(右側へは道がないが通れないわけではない。いわゆるバリエーションルート)

0810 石の鼻着 細かいアラレが一面に積もっている、というよりはばらまかれた感じ。ときおり吹く強風に木の葉に付いていたアラレが落ちてくる。
いつものように岩のてっぺんに腰をかけザックを降ろす。一休み。のどは渇かず腹も減らないので早々に出発する。

0815 石の鼻発 すぐ先にあった木道が鉄製に変っている。幅も広くなったようだ。右手に千尋の地獄谷を覗きつつ進めばツララの名所。この先登山道はすべて北向き巻道なので陽があたらず、降った雪が昼に溶けて朝には凍りつく。

【ツララ】

見たことのない新しい鉄梯子(階段と呼ぶべきか)を登ったらはや小普賢岳の肩に到着した。広告看板のような遭難慰霊碑は健在。谷側には遭難者のものらしい氏名と日付が書かれた板きれがぶら下がっている。2000.04.02 とあるのは遭難者の命日「四月二日」の意味だろうか。

「折角登ってきたのにもったいない」と思わせる急坂下り。それが終わると地獄で仏、平坦な景色のよいところに出てここでは誰もが立ち止まる。

単独だとつい休みが短くなる。急ぐわけでもないのに、ゆっくりせねばならないわけもないから、などと屁理屈をつけて歩く。

この先遭難が多い場所である。友人が滑落した箇所、その近辺のまた別のハイカーが落ちたと思われる箇所には危険の札やロープがあるだけで残念ながら整備されていない。

お地蔵さんはもはや完全に登山道と一体化し根を生やしたようだ。いつも見掛ける賽銭がないのを不思議に感じたがハイカーに賽銭泥棒などいない。土地の管理者が集めて安全登山に役立ててくれているに違いない。
海抜 1700m を越える付近から霧氷が目立ち始める。一センチに満たない小さなエビの尻尾もある。頂上を見上げると桜が咲いているように見える。

0855 大普賢岳着 風が強い。積雪はなく、地面が白っぽく凍り付いたように見える。立札は古くて文字も読みにくい。その古い立札の上に小さな新しい山名票が乗っていた。

【山頂の霧氷】

空腹は感じなかったが起きてから六時間半経っているので三角点に積もった雪を払い、腰を据えてオニギリを二つ食べる。

見慣れた景色を眺めときおりアラレにあたりながらふといつもの癖で携帯電話を取り出し、低山徘徊派・あきゆきさんの携帯に電話を入れてみた。一度目、受話器に耳をあてずにいたらかけた途端に切れてしまった。二度目は発信音ののちに「ツー、ツー」という通話中の音。もう一度かけてみようとしたところ「圏外」の表示が出ている。つい先ほどまで三本立っていたのにどうしたことか?アンテナを伸ばしたまま歩き回ってみたが「圏外」表示は消えない。

食事を済ませたころ二人組が上がってきた。こちらは既に荷をザックにしまってある。降りようと思っていたがハイカーに会うと嬉しいもの、しばらく談笑する。 二人組はさっさと下り始めた。風が強いから少し下ってのんびり食事でもするとのこと。
さて、随分早いが僕も降りるとするか。

0940 大普賢岳発 下り初めてすぐ、先ほどの二人組を見かけた。登山道から随分はみ出たところに陣取ってコンロに火を入れている。

登りには気づかなかったが頂上付近の道は薄い雪のためたいへん滑りやすくなっている。鉄梯子に付いた雪も半ば凍っておりやや緊張した。

ある程度下れば急傾斜の部分を除き回数だけは随分歩いたルート、緊張感は既に希薄である。一年以上のブランクがあるとはいえ中年ソフトボールの成果か脚に異状はない。再びお地蔵さんに挨拶して下り続ける。

小普賢岳の肩への登り。一番険しい大普賢岳頂上部を往復したあとでは最もきついところ。急ぐと筋肉を傷めてしまう。

1015 石の鼻 通過 これより下、緊張する箇所はない。登り途中、色々気づいたことが下りでは殆ど目に入らないようだ。すぐ日本岳の鞍部に出た。いつぞや雨の笙の窟尾根をビビリながらここまで来たことを思い起こし、最後の下山路・ロープがどこにかかっていたか探すが見えない、思い出せない。

1030 笙の窟着 ザックを降ろして小休止。水筒がないのでお土産の名水を汲んで帰ることができない。

1040 笙の窟発 気温が上がってきたようなので合羽を脱ぎスタート。最後の梯子を下り森に囲まれた平和な尾根道を行けば朝霜柱が立っていた地面はぬかるみに戻りかけていてそれでもまだ水気を感じるほどではない。

高年ハイカー数名と擦れ違う。70 歳は越えているだろうか、軽装が気になる。頂上付近は滑りやすいと注意してから別れる。

1120 和佐又ヒュッテ着 登山届けには下山したときにその旨記入せねばならない。自家用車のドアを開け靴を履き替えてから栃ノ木食堂へ入るとおかみさんに会った。

「あら久しぶり。頂上はどうでした?あらそう、エビの尻尾が一センチくらい?昨日登った人は二十センチとかいってたけど。風が強かったですからねえ。頂上近くは滑りやすいの。やっぱりねえ。さっき初めてみたいな人たちが登っていって、アイゼンがないと言うから止めたんですけど聞かなくて。そうそう、昨日登った人が『鉄梯子の幾つかに最下段が抜けてるのがある』と言ってたけどどうでした?全然無かった?やっぱりね。地面が掘れて最初の段までは多少高いところもありますしね、初めて見た人は壊れてると思うのかもね。今が一番ヒマな時期ですよ。大掃除したり。え、二月に登りたい?挑戦しますか?(笑) 整備が進んでるって?あんまり事故が多いんで吉野警察から急かされてね。でも落ちたところを整備すると別のところで落ちるし、県はあまりお金を出してくれないし、、」

歩行時間 0415
休憩時間 0100
合計時間 0515

1140 和佐又ヒュッテ発 車の横で最後のオニギリを食べていると朝方なついてきた猟犬のうち二匹が寄ってきたので分けながら食べる。顔は不細工だがこれだけなつかれると可愛いもんだ。リポビタンを飲み帰途に就く。 時刻が早くて西名阪の渋滞を免れたのは幸いだった。まだ正午だが起きた時間から計算すると生活時刻では既に日常の夕方に近い。バックミラーに映る瞼は半分下がっている。もし助手席に同乗者がいたら逃げ出したろう。

1430 自宅着(281.3km)

今年一度も山へ行かなかったという不名誉(?)を避けることができ、一年以上のブランクにも関わらず筋肉痛をきたすことなく、なにより大普賢岳で死んだ友人の七回忌に九ヶ月遅れとはいえお参りできたことを幸運に思う。


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