午前中にコープへ出かけ食料を買い込む。半年前に買った中型ザックが意外に小さく、食料のみポリ袋に入れたまま手提げで歩こうと思っていたが重すぎる。古いがほとんど出番のない大型ザックに変えよう。
中年ソフトボール練習試合。ノーヒット。
富山に単身赴任中でソフトボールだけをやりに帰阪するヘンなチームメート・神崎氏曰く「剱か、先週二人落ちてるよ」
帰宅後ゆっくり休んでからパッキングのやり直し。装備から一旦外したフリースとシュラフカバーを入れる。担荷は 15 キロしかなかった。これなら使い古した中ザックで間に合うはず・・・パッキングが下手になったようだ。
2112 地下鉄難波駅着
2128 夜行バスのターミナルが西梅田から変更になったのは知っていたがそれにしてもわかりにくい場所に移転したものだ。大荷物担いで妖しい繁華街を通過しつつ 15 分以上も歩くのは鬱陶しい。
2143 難波発 2150 発のはずだが乗客が揃えば発車するらしい。小雨が降りだした。天気予報では明日以降太平洋高気圧が張り出してきて前線が北上するらしいのでさほど心配しない。
2300 京都駅から六名乗ってきた。それでもバスは比較的空いていて隣が空いているのは幸いだった。冷房の利き具合も適度でウールカッターは使わずにすんだ。
0645 室堂(2450 m)着 以前来たとき、ターミナルに食堂や売店があるのを見て朝食の用意を怠った。が、0800 営業開始とは知らず、とにかく開いている売店を捜してマス寿司を買う。1200 円也。缶コーヒー(200 円也)をホットにしたのはまずかった。体が冷えているわけでもないのに。
今日は剱沢までなので急ぐ必要はない。体調も万全ではないので待合室でのんびり過ごす。待合室には「ここで寝泊まりしないで下さい」と書かれた張り紙がある。バス乗客がまず入り込むこの待合室付近はホテルの一階にあたり、階段を上がって三階から外へ出るようになっている。
0805 発 ガスが巻いている。すぐ近くに見えるのは立山。エアリアを見て雷鳥沢を目指す。ミクリガ池から毒ガス地帯のルートをのんびり歩く。トレーニング無し、山歩きは七ヶ月ぶり。ソフトボールをやっているとはいえ体力がすっかり衰えているのは自覚している。それにしてもバランス感覚が悪い。山道でもないのにやたらふらつく。
0845 雷鳥沢テント場 ここにテントを張る連中は何処へ行くのだろうか。一休み。
0855 発 雷鳥坂を登る。ザレた急坂で四年前だったか、初めて来たときと同様早くもアゴが上がるが、ときおり振り返りテン場が少しずつ小さくなるのを見て「確かに登っている」と感動を覚える・・・のはちと情けないか。
0930 一休み(2460 m) 三重から来たというハイカーと話す。どうやら同じバスに乗っていたらしい。岩登りは初めてというのでこちらもエラソーには言えないが三点支持の原則だけ強調しておいた。
0945 発 どうも初っ端から休み時間が長い。歩きたくない証拠だろう。
1015 一休み(2615 m) おいおい、三十分も歩けないのか。
1030 発 雷鳥沢から見上げると緑色の尾根が下方・右、上方・左に見え、下方では尾根の左(西)を、上方では右を登る。稜線付近でまた左の沢に戻るとまもなく剱御前小舎に着く。
1055 剱御前小舎 立山、別山、剱沢、別山尾根、大日への分岐点に小舎がある。剱岳はガスに巻かれて見えたり見えなんだり。小舎の前にはドリンクや焼きうどんなどの店が出ている。
昼食にはやや早いし、剱沢テン場近くの剱沢小屋でメシくらい食わせるだろうと思ったので休憩のみ。三重からの人は焼きうどんを注文している。800 円也。この人、今夜は剱山荘(剱岳に近い方)泊だそうで明日剱岳に登り、その後も別ルートを回るそうだ。
1115 発 ここからは緩い下りを僅か歩けば剱沢小屋と周辺のテン場に着く。ルートは相変わらずのザレ・ガレで歩きにくく、道もわかりにくい。ペンキマークを外さぬよう注意が必要。西にはロープが張ってあって「水源。立入禁止」の札が立っている。高山植物が満開なのに生憎いまだに花の名前を覚えられない。
1140 テン場 適当な場所にまずはテントを張る。幕営料を支払いに剱沢小屋へ出向くと野営管理場へ行けという。その前に昼食をと考えたがこの小屋にはメシを食わせるところがなかった。コーラ・300 円也を求める。涸沢のように雪渓が残っておれば氷が調達できるのだが付近には使えそうな雪渓がない。諦めて野営管理場へ。
水場(簡易水道)とトイレの横を通過し、平屋建てへ向かう。登山計画書を兼ねた書類に記入し、テン場代を支払う。二泊にもかかわらず料金は人数によってのみ決まるらしく、500 円で済んだ。通常、人数×日数だと思うのだが。しかもテントにくっつけるタグをよこさない。悪気があればロハでテントを張ることもできるわけで、ハイカーを疑わないこの山域が気に入ってしまった。500 円を支払うとキーホルダーをくれた。サービスの良いことである。金具が弱くザックに着けるには不安があるので携帯電話に。
ここには金沢医大が夏期診療所を開いている。テント数や天気図が張ってあり便利である。同じ建物の北側は富山県警山岳警備隊常駐場所である。剱岳は午後になるとガスに巻かれるからと早出を勧められた。往復五時間と聞いたが、確かにここからの標高差は僅か 500 m。いくら険しいといっても通常の体力があればそれくらいで往復できるのだろう。
水を汲んでテントに戻り、サッポロ一番を煮て昼食とする。食後は粉末レモンティー。これは大阪の山道具屋で買ったと思うが一袋 100 円近い。昔「ワタナベのジュースの素」というのがあったが、近頃スーパーで粉末ジュースを見かけない。
やることもないのでまた剱沢小屋へ行き、ベンチにかけて真北に聳える剱岳を見る。コンタックスを二台抱えたハイカーと写真談義。
ヨメハンにメールでも、と携帯電話の電源を入れてメッセージを入力する。明日、山頂から発信しよう。
1700 夕食 α米半袋とコンビーフ。α米に賞味期限があるのか知らないが今までになくまずかった。お粥状で芯がある。コンビーフも塩辛いだけ。山の中ではなんでもうまいはずなんだが。
一服剱と前剱の間をヘリが何度も往復している。荷をぶら下げているわけでもなく様子がおかしい。遭難者がでるような危険個所でもない。(翌日聞いた話では前剱からの下山中、足を滑らせて登山道を僅か十メートル程度滑落した 70 台のハイカーが死んだとのこと。頭を打ったのだろう)
1800 まだまだ明るいがシュラフに潜り込む。ウールカッターを着ると暑すぎて寝たり起きたり。
夜半頃テントから顔を出せば満天の星空。北西には富山市があってやや空が明るいが、星座の形がわからぬほどの星数であった。ペルセウス群の流星も幾つか見えた。ときおり「きゃー、流れた!」などと嬌声が上がるのはこの流星群のことを多くのハイカーが知っているわけで、天文もメジャーになったものだ。
海抜 2500 m というのに案外暖かく、T シャツとスリーシーズンシュラフだけで快適だった。シュラフカバーは枕にする。
0430 起床 昨夜のα米残りにシャケ缶で朝食。うー、これまたまずいぞ。
0545 発 担荷は昨日の15 キロマイナスキャンプ用具であるから 10 キロ以下のはずだが体が重い。先が思いやられる。
まずは県警山岳警備隊の前を通り、雪渓を横切り緩斜面を下って剱山荘へ向かう。100 m 近くも高度を下げるのは実にもったいない。
0615 剱山荘(2470 m) ここから出発する人、剱沢小屋から来た人で賑わっている。昨日のカメラマン、三重からの人と出会った。
0620 発 緩斜面をゆっくり登るとすぐに稜線に出て一服剱に到着する。石ころが多くて歩きにくい。
0645 一服剱(2605 m) 通過。この先前剱への登路はかなり急傾斜でザレており、上から石が落ちてくるわ下へ石を蹴落とすわで注意が必要。
0715 休憩(2715 m) どうも休みが多い。
0725 発 歩幅を極端に狭く、ピッチをぐっと落としても休まずにはおられない。
そろそろ谷間から海が見えてきた。目をこらすと、おお、能登半島ではないか!やはり午前中に登らねばならない山のようだ。ザレが減り、岩場をかいくぐるようにピークに出れば前剱岳。
0745 前剱(2810 m) 四年前に見たハングル文字入りの山名標は健在。雷鳥はいない。こいつはガスが巻かないと出てこないのだ。
0800 発 これより先は岩場となり、鎖場も多くなる。登りと下りが別路になっている箇所がほとんどで、これに気づかないと下山者を延々待つことになる。登降も激しく一気に高度を稼げるわけではない。鎖場、殊にトラバースは例えば道幅 20 センチ、下はほとんど垂直に 50 m などという怖い箇所があってあまり下を見ないようにした。三点支持をしっかり守らねば「落ちたらおしまい」みたいな怖いルートが頻出する。
0830 休憩(2830 m) この時刻になると下山者と多く擦れ違うようになる。随分早い時刻に登り始めるもんだ。
0840 発 四年前の七月に来たとき大きな雪渓が残っていた箇所がカニの横這い・縦這い分岐点である。今日はその雪渓が無く、地形を覚えていたので間違えなかったが別段この箇所だけが危ないわけではない。前剱を過ぎたトラバースや他にも危険個所は数え切れない。以前は何も考えずに登ったのが嘘のように恐怖感を覚える。
前剱・剱間は奥穂高岳からジャンダルム、ロバの耳を思い出させる雰囲気がある。悪場の連続でカニの横這いなども特にその箇所を意識することなく通過したほどである。長男を連れてこなくて良かったと思う。
ところが小四、中一を交えた家族を発見。四年生の女の子は鎖場でお母さんから足場などを指示されつつ登っている。そのお母さんの登り方もいまひとつ危なっかしい。
腹の虫が鳴いた。おや、もう空腹の時刻か?シャリバテではあるまいが随分疲れている。
【携帯電話の怪】
電力保存のため電源を切っている携帯電話がメールの着信を伝えるメロディを発し、間もなく電池切れの連続音に変わった。出かける前に充電し、昨日メールを事前登録しただけでまた電源を切っておいた電話がなぜ着信音を出すのか?しかも電池切れだと?
鎖が消え、一旦増した傾斜が緩やかになると間もなく山頂に到着する。歩きやすいジグザグの道(キャンプ場からも白い筋のように見える)が付けられているのだがわざとルートを外し、左手の分岐標へ向かう。早月尾根を眺め降ろしてから祠の裏へ。
0955 剱岳(2998 m) 祠の正面(南)ではハイカーが記念写真を撮るため混雑しているから少しルートを外した場所に陣取り(実はそこもルートであった)荷物をぶちまける。
コンロとコッヘルを用意し、ラーメンを煮る間にミカンの缶詰を空ける。今回の山行で一番感動したのがこのミカンの美味さであった。
落ち着いてから携帯電話を取り出すと確かに電源が切れている。スイッチを入れると僅かに電力が残っている。昨日入力しておいたメールを発信するが「電波状態の良い場所でやり直せ」のメッセージが出た。自宅にかけるとこれまた繋がらず、一本だけ立っていたアンテナマークはいつの間にか「圏外」に変わっていた。役にたたんなあ。
日射しは強烈で顔、腕がヒリヒリする。日陰はない。せっかくここまで来たのだからのんびりしたいが昼寝もままならぬ。気温は下界より 18℃低いはずで、下界の気温が 30℃ならここは 12℃。しかしとてもそうは思えぬ暑さを感じる。
1140 発 のんびりしているうちにハイカーの数が随分減った。下りでは鎖場での待ち時間もあるまい。下りやすい道を選び、険しい稜線を登降する。さすがに登りよりも少しは楽である。
1230 休憩(2855 m) 数少ない平坦地にて。
1240 発
1300 前剱 すでにこの付近にはガスが出ていて太陽光は遮られ、暑さから解放された。しかしときどき現れる太陽は相変わらず凶暴である。
1315 発 いやらしいザレ道に変わる。前後のハイカーは少ないがなるべく距離をとり、石を蹴飛ばさないように注意しつつ歩く。筋力が失われ、急傾斜にブレーキが利かなくなってきたが危険個所も減り、気分的には楽である。
1340 休憩(2650 m)
1350 発 一服剱の少し上方にコルがあり、西から涼しい風が吹いてくる。しばし立ち止まる。
1405 一服剱 剱山荘が近くに見える。
1415 発 稜線を左へ下ると剱山荘である。そのまま稜線を進むルートがあるはずだが気づかず。以前にここを逆行したから覚えていないはずはないのに。
1430 剱山荘 スプライト・350 円也購入。剱沢小屋より50 円高い。しかしここでは軽食にありつけるし飲み物の種類も多い。アイスクリームなどを食べている人も見かけた。
剱岳は午前中に登るべき山であることがはっきりしたが、この付近に小屋は剱沢小屋、剱山荘、早月小屋しかない。山に一番近く規模が大きいのは剱山荘だがテン場がない。早月小屋からは険しい尾根を 800 m 登らねばならない。目的に応じた使い分けが難しそうである。
1455 発 緩いが疲れた体には堪える斜面をとぼとぼ登る。
1540 テン場 往復 10 時間近くかかったことになる。マップタイムは 5 時間くらいであるからなんと二倍!
歩行時間 0620
休憩時間 0335
合計時間 0955
水を補給してテントに戻る。靴を草履に履き替え、ラーメンを煮る。今回はコンビーフを混ぜてみたらこれまた不味いこと!
飲み物やラーメンで腹が太ったままテントに入り、1800 頃には寝てしまった。さすがに疲れたようで、夜半に一度目覚めただけ。今夜も星が美しい。ペルセウス群もまだまだ活動を終えてはいない。
0540 起床 ラーメン煮るのが面倒で非常食のピーナツチョコを一袋食べてしまったのが悪かった。胃がムカムカしてしょうがない。
今回は帰りのバスを予約してある。室堂 1230 発である。急いでもしょうがないし動く気もしないのでのんびり過ごす。やがて陽が射し始め、剱岳の色が変わっていく様子をデジカメに収める。メモリーが少なく、高画質が使えなかったのは残念。
テントはなるべく西側に張った方がよい。最も西に張ればこの時期 0630 には陽が射し始め、テントの乾きも早いからである。
0730 パッキング完了 それでもグズグズとなかなか歩き始める気にならない。
0750 発 高山植物を眺めつつ緩斜面を登る。
0840 剱御前小舎 焼きうどんはまだ出ていない。室堂ターミナルがえらく遠くに見える。
0850 発 雷鳥坂も石がごろごろしていていやらしいが危険個所など無く、当たり前だが登りより早く下れる。
1000 雷鳥沢 休憩
1010 発 この先は上高地同様、山には興味のない散策者が増える。室堂まで案外登りがあって、整備された階段が殆どなので歩きやすいが上から横に広がって勢い良く下ってくる連中には閉口する。
1055 室堂
歩行時間 0245
休憩時間 0020
合計時間 0305
マシなものが食べたくて喫茶に入りカレーライスとコーヒーを注文してから驚いた。カレー・1400 円、コーヒー・850 円である。会計は 2150 円だったから割引か間違いか知らないがとにかく高い。
大町方面・富山方面へのルートともに混雑しているようだが驚くほどではない。盆も過ぎ、週末以外は酷い混雑もないらしい。
1230 発 45 人乗りのバスに乗客は 16 名。席の指定もない。一番後ろに陣取り、ごろりと横になって大阪まで。
最初の休憩地でバスを乗り換えることになるのだが降りてびっくり、非常に暑い。随分暑いと思っていた山の上、実は涼しかったようだ。
高速道路はところどころ渋滞がある程度で予想より早く到着した。降り口は新阪急ホテル前。
2020 大阪着 梅田で軽食をとり、電車・バスを乗り継いで帰宅する。
バス停から自宅まで歩きながらいつものように空を見上げて愕然とする。天頂付近にベガが見えるだけ。こんな汚い空気を通して暗い天体の観測などできるものか。